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PL法(製造物責任法)という法律があります。
製造業者が製造や加工をした製品の欠陥で
他人の生命、身体、財産を侵害したときは、
過失の有無にかかわらず、損害を賠償する責任があるというものです。
T社製のエアバックの誤作動で死傷事故が起きたことへの補償や
ファンヒーターが原因の一酸化炭素中毒死事故の補償など、
該当すると思われるケースは至る所に転がっています。

そういえばこの法律ができたとき、
訴訟大国アメリカでは、
ネコを電子レンジに入れてはいけないという注意書きがなかったとして、
シャンプーしたネコを電子レンジで乾かそうとして死なせてしまった飼い主が
勝訴したらしいよという話(真偽不明)が
まことしやかにささやかれたものでした。


閑話休題。

ゆずの勤める会社は、今夏7月末日をもって営業業務を終了しました。
今は廃業のための残務整理中。
大小さまざまな『処分』しなければならないものがあって、
廃業は起業や通常営業の数倍もの体力が要るといわれるのを
実感しています。
かつての従業員さんの転職の斡旋や帳簿の処理、リース契約の解除、
フロン処理、薬品処理、アスベスト処理、
電気、ガス、水道のストップに電話と郵便の転送・・・。
中でもたいへんなのがPCBを含んだ製品の処理です。

PCB(ポリ塩化ビフェニル)は有毒で発がん性も高く、
自然には分解されない厄介者。
カネミ油症事件の原因となった化学物質です。
このPCB、かつては電機製品に広く使われており、
ゆずの会社でもトランスやコンデンサ、水銀灯や蛍光灯の安定器など
多くのものにPCBが使われている可能性があります。
これらはすべてPCB不使用の証明書(不含証明)をつけるか、
正しくPCB処理をした証明をしないと廃棄できないため、
このPCB処理が終わらないと廃業ができません。
PCBが含まれていることもPCBが有毒物質であることも知らずに
『使用』していた企業に処理責任があるわけです。

ちなみにこのPCB、処理を請け負っているのは
JESCOという環境省直属の会社で、
ここが運営する処理場は国内で数か所のみ。
(どちらもたぶんお役人サマの天下り先でしょうね。)
ここでのPCB処理は、有毒物質の処理ということで
片手に乗るようなサイズのものでも数十万。
大型のものだと数百万から数千万になります。

運搬費用も同じく数十万から数百万。
それならせめて自分で処理場まで運んで
運搬費用を節約すればいいじゃないかと思うのですが、
運送業者も指定されていて自分で運ぶことはできません。
こうなると市場の競争原理などまったく働かないため、
費用は処理企業の言い値。
信じられないような高額の見積書が届くことになります。

ゆずの会社の場合も、処理費用は軽く一千万を超えています。
国からの補助が70パーセント下りるので実際の費用負担は数百万ですが、
費用以外にも問題があります。
先に書いたように、PCB処理を請け負っている処理場は
国内で数か所のみです。
ということは、全国のPCB処理がここに集中するわけで、
処理完了までに数年待ちという状況ができあがっています。
PCB含有機器所持の登録でさえ数ヶ月かかります。
ほんと、体力がないと企業経営にピリオドを打つことさえできないのです。



さて、ここで大きな疑問です。
最初に書いた製造物責任。
本来ならPCBの入った製品を『製造』した企業に
回収や処理の義務があると思うのですが、
なぜPCBに関しては使用者責任になっているのでしょう???
欠陥が発覚したエアバッグやファンヒーターを
『使用』していた人に事故の責任があるなんていう話、
聞いたことありませんよね。
なのになぜPCBだけ???

これ、きっと製造企業(もしくは業界)のトップと
政治家さんとの癒着の結果だよね
と、日々悪態つきながら
廃業のための手続きを進めているゆずの今日この頃です。
 
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昨日の夕食メニューは親子丼でした。
鶏肉をたっぷりと入れた親子丼。
その鶏肉を箸でつまみあげ、ムスメが思い出し笑いをしています。
何が可笑しいのか尋ねると・・・。


 : 「もうかなり前なんだけどね、
     ジッちゃとバッちゃがA屋(昔からある水都の小さなうどん屋)に
     行ったんだって。
      ※ムスメはババのことをバッちゃ、ジジのことをジッちゃと呼んでいます。
     それでね、ふたりが自分の好きなうどんを注文して、
     A屋は親子丼も美味しいから、それも1つ頼んで
     半分ずつするいことにしたんだって。
     先にバッちゃが親子丼を半分食べて、残りをジッちゃに渡すのね。
     その時のことを話してくれたんだけどね・・・」


 : 「おい、おまえボケたんか。
     あの時たのんだのは親子丼じゃなくて玉子丼や。」

 : 「なにボケたこと言っとるの。
     親子丼やわ。」

 : 「いいや、玉子丼やった。」

 : 「頼んだ私が言ってるんやから間違いないって。
     ボケとるのはアンタのほうやわ。
     親子丼!」

 : 「いいや、玉子丼や!
     かしわ(当地では鶏肉のことをかしわと言います)は
     入っとらんかった。」

 : 「
     そうやなぁ、玉子丼やったかもしれんわ。」


これにてささやかな親子丼バトルは終結。
でも、これはその場を治めるために
ババが引いたのではありませんでした。


 : 「でもね、あとでバッちゃがこっそり教えてくれたの。」

 : 「何を?」

 : 「あのね、その時に注文したのは間違いなく親子丼だったんだって。
     ただ、バッちゃが言うにはね・・・」



 : 「あのな、あの時頼んだのは親子丼やったんよ。
     でもな、先にバッちゃが半分食べたやろ。
     その時に入ってたかしわ、ぜーんぶ食べたったんや。
     そやからな、ジッちゃのとこに親子丼が渡った時は、
     玉子丼になっとったんよ。
     わはははは!!」


なんていうか、とってもババらしくって・・・。

 
北海道で大きな地震が起きましたね。
大雨による水害、台風の襲来、そして地震。
おだやかないつもの生活を揺るがす自然災害の連続で、
怖さといつも通りの生活の有難さを感じています。

先の台風では水都でもそれなりの被害がありました。
ゆず家は大丈夫でしたが、市内のそこここで停電。
信号が消え、明け方近くまで
お巡りさんの手信号の笛の音が聞こえていました。

ガラス屋さん、屋根屋さん、外壁修理屋さんも大忙し。
突然の停電でトラブルを起こしたパソコンも多かったようで、
知り合いのパソコン修理業者さんには、修理依頼の電話とメールが殺到。
笑いが止まらない状態だそうです。
※注
 仕事が増えてウハウハの笑いではなく、とてもじゃないけど対応しきれない数の依頼と
 対応が遅いことに対する引っ切り無しのクレームへの、心理的防衛反応としてのアブナイ笑いです。



さて、ゆず家の被害はというと、数時間の時差でやってきました。
その日台風の目が水都の西方を通り過ぎたのは夕方の4時頃。
かなりの強風でしたが雨はたいしたことはなく、
雨戸を閉めた家の中でじっと台風の通過を待つだけでした。
風が弱まってきて、まずはほっと胸をなでおろします。

その後いつものように夕食をすませ、ダンナさまは2階の自室へ。
ゆずは仕事部屋でパソコンをいじりながらのんびりと過ごします。
このとき外は雨。
風が治まったと思ったら次は大雨ですが、
台風は通り過ぎているし風も弱まっているので、
天気のことなど気にもしていなかったのですが、
これが間違いでした。

しばらくして何か飲み物でもいれようと仕事部屋をでると、
なにやら聞きなれない音がします。
天井裏を何かが走り回るような音。
それもネズミのような小動物ではなく、
もう少し大きいものが動いている音です。

犬? 猫?  マサカ・・・。
イタチ? いや、もっと大きい。
もしかしてニホンカワウソ? というのは冗談で、
ヌートリア? ハクビシン? あり得るかも・・・。

天井を見上げながら音のする部屋へと入ります。
音がするのはちょうど床の間の上あたり。
何だろう。。。
視線を天井に向けたまま考えますが、答えはわかりません。
そして次の瞬間、視線を少し下げると・・・

目に飛び込んできた光景に固まりました。


滝。


床の間がひどい雨漏り。
床の間の端から端まで、大雨の日の軒下のような雨漏りです。
まるで白糸の滝。

自家製白糸の滝


雨漏りもここまでくると見事です。
が、自家製白糸の滝に見入っている場合ではありません。
慌ててダンナさまを呼び、バケツと雑巾で水を受けますが、
すでにそこに置いてあった客布団2組はビショぬれです。
いや、布団などどうでもいいのです。
まずは何が起きているのか、原因は何なのかを突き止めなきゃ!!


というわけで2階の窓から雨漏りがしているあたりの屋根瓦をチェックします。
が、見たところ異常はありません。
築33年の瓦屋根ですが、
割れているわけでもズレているわけでもないようです。

おかしい。。。
それなら、なぜこんなに雨漏りが??


と、ここでダンナさまがあることに気が付きました。
屋根の西の端を指差して、

 : 「なぁ、そこって雨樋のパイプなかったか??」

 : 「そういえばあったような・・・。」

ゆず家は昔ながらの瓦屋根の2階建て。
2階の大屋根に降った雨水は樋に集まり、
建物の2階南西角にある縦方向の雨樋を通って1階の屋根に下り、
そこからは1階の瓦上のパイプを通って
1階南西角のパイプから地面に下りて排水されます。


が・・・。


無い。。。


1階の屋根の上にあるはずの雨樋のパイプが見当たりません。
どうやら台風の風でこの部分が引きちぎられ、飛ばされたようです。
2階の屋根からきた雨水はというと、
2階の屋根のすぐ下から建物に向かって吐き出されています。


これだっ! 
白糸の滝の原因はこれっ!!


すぐにダンナさまが屋根に上がり、水の出ている樋の向きを変え、
建物に雨水がかからないようにします。
そうしておいて滝の様子を見に階下に下りると・・・


滝、消滅!


ほっと胸をなでおろします。

が、たいへんなのはここからです。
床下浸水はしていないけれど床上浸水状態の床の間周辺。
物をどけ、上敷きをはがし、シッカリと水を吸った畳を乾かします。
エアコンと扇風機フル稼働ですが、
床の間のある部屋にはエアコンがないので、
ふすまを開けて居間のエアコンを使います。
結果、寒い。。。
台風疲れとエアコンの効き過ぎで、カゼひきました。(-_-;)


拭き掃除もなかなかの重労働です。
漏れた雨水は屋根の下地の泥を含んでいるので、茶色い泥水です。
雑巾で拭きとると、砂粒がザラザラ。
床は何度も拭いたからまぁよしとして、
でも土壁は拭けないし、この雨染みは消えないでしょうね。

ついでながらこの土壁、阪神大震災のときにできた
ヒビ割れも残っています。
ゆず家の天災アーカイブです。


さて、話を元に戻して、
雨水でぬれた布団カバーや毛布など洗えるものは、
その日深夜までかかって洗濯です。
これは洗濯と乾燥でOK。
問題はぬれた布団です。

布団は薄茶色の大きなシミができています。
ダメモトでコインランドリーで洗ってみたところ、
掛布団はキレイになったけれど
敷布団は中綿がダンゴ状態で再起不能となりました。
水都ではこれを可燃ゴミに出すには
30センチ四方以内に切らなければなりません。
これがまたけっこうな重労働。
はぁ~ぁ、ため息が出ちゃいます。


台風の翌日は、朝いちばんに屋根板金の業者に電話です。
普段からお付き合いのある板金屋さんはないので、
タウンページで探します。

え? ネットで探すんじゃないのかって?
ネットでヒットする業者さんは、ほとんどが全国ネットのフランチャイズ業者。
立派な看板は見えるけれど、業者さんの顔は見えません。
見積り額は多少安くても、業者が親会社に払うマージンを考えると
かなり安い費用で請け負わされているはず。
良心的な業者さんに当たればいいのですが、
そうじゃないリスクを考えると・・・。
やはりちゃんと顔の見える業者さんがいいですね。


で、依頼した修理ですが、
やはり台風の影響でかなり込み合っているようで、
いつになるかはわからないとのこと。

台風が過ぎ去って、翌日は青空。
台風一過の青空ですが、ゆず家は台風一“禍”。
まだまだ天井を見上げ、
空を見上げ、屋根を見上げる日々が続きそうです。
アメリカシロヒトリって知ってますか? 

ゆずを悩ませる『黒』はアリでしたが、
『白』がこのアメリカシロヒトリの幼虫。
毛の長い白いケムシです。

アメリカ――の名が表すように、かつては日本にはいなかった外来種。
第二次大戦後にアメリカからの軍需物資についてやってきて、
今では日本中に広がっているそうです。
(これ、庭師さんからのウケウリです。)
アメリカシロヒトリのシロは言うまでもなく白ですが、
ヒトリは『一人』ではなく『火取』。
火取蛾の一種で、成虫は『飛んで火にいる夏の虫』の由来になった
虫なのだそうです。

ゆず家では去年からこのケムシに悩まされています。
どうやら庭の柿の木がお気に入りのようで、
あれ? 柿の葉が白っぽいかもと思っていると、
ものの数日で葉っぱが食い尽くされてしまいます。

被害に遭った葉は、なんていうか芸術作品。 
中学生の時だったか、理科の時間に木の葉を薬品処理して
葉脈だけを取り出したことがありますが、
このケムシの食害に遭った葉も見事に葉脈だけが残って
美術作品のようです。

でも見事な出来栄えだからといって、見過ごすわけにはいきません。
葉が全滅すると、実もダメになってしまいますからね。


というわけで柿の葉が白くなるとすぐに庭師さんに連絡です。
とにかく食欲旺盛なケムシですから、一日遅れるだけでも命取り。
庭師さんも、いつもその日のうちに消毒に来てくれます。
ただ、民家の庭先ですぐ横には野菜が植えてありますから、
あまり強い駆除剤を使うことはできません。
おまけにこのケムシ、毛足が長いので薬剤がなかなか体にかからず、
劇的な効果が望めません。
今年は5月に大量発生して2回消毒し、なんとか治まったかと思っていたら
先月末あたりから再び発生。
今回は手強くて、すでに4回消毒をくり返しているのに
いまだに終息しません。
それどころか今までは柿の木と梅の木に限定されていた被害が
野菜やほかの樹木にまで拡大。
ナスや大葉、ビシャ(正式名はヒサカキ?)が被害に遭ってます。

庭師さんとはスマホのメッセージでやり取りしていますが、
最近は「またケムシ」と「行きます」の5文字と4文字の繰り返し。
消毒して一旦は撲滅できたと思っても、
この連日の高温で2日もすれば産み付けられていた卵から次の幼虫が孵化。
あっという間にケムシの大群が出現して、
「またケムシ」と「行きます」を繰り返すことになります。
消毒にかかる費用もバカにならないし、
ほんと、イヤになっちゃいます。


ただね、思うのですよ。
このアメリカシロヒトリ、木の葉は食い尽くすけれど、
人体には無害なのだそうです。
毒針で刺すこともなければ痒みを引き起こすこともありません。
ただ庭木や野菜が食い尽くされるだけ。
それに対して駆除のために使う薬剤は
承認されているとはいえ人体にも土壌にも無害とは言えないだろうし、
かといってケムシを放置しておくとご近所に拡散して迷惑をかけそうだし。
もちろん費用もかなりかかるし。

ゴールの見えないシロとの闘い、続けるべきか否か・・・、悩むところです。

アリが活動的になる季節がやってきました。
梅雨が明け気温が高くなると、家の中にアリが入ってきます。
ほとんどはキッチンの隅を『通り抜け』するだけなのですが、
うっかりアイスの棒など置きっぱなしにしたら
大変なことになります。
黒山の人だかりならぬアリだかり。
窓から5~6メートル離れた部屋の真ん中あたりまで
行列ができることもあります。

先日はキッチンの生ゴミ入れの横に
直径5センチくらいの黒いかたまりを発見。
何だろうと思ってよく見ると、
スイカの皮を捨てようとしたときに落ちた果汁に集る
アリの一団でした。


アリ退治のスプレーもありますが、
できれば家の中では使いたくありません。
そんな時にはどうするか・・・。

ゆず家のアリ退治の必需品はガムテープと輪ゴムです。
アリの侵入口あたりに輪ゴムを撒いて新たな侵入をストップ。
(アリはどうやらゴムが苦手のようです。)
室内にはいってしまったアリは、ガムテープで取り除きます。
1回ペタっとするだけで百匹を超えるアリが取れることも珍しくありません。
そんなときには機関銃を手にした薬師丸ひろ子のように、


「ん~~、カ・イ・カ・ン!」


なわけはありません。


仕方ないなぁ。。。 ペタっ! 

こんなことさせないでよね、ペタペタっ! 

こんなことしたくないのに、
なんで懲りずに侵入してくるかなぁ、ペタペタペタっ!!
 
甘いものの位置を仲間に伝えるその優れた伝達能力で、
近寄ると危険なゆず家の情報も共有してよね、まったく。 
ペタペタペタペタっ!!

情け容赦なくガムテープでアリを除去するものの、
命を奪うわけですから決して気分のいいものではありません。


アリさんたち! 
あなたたちが働き者なのは知っています。
冬に備えて少しでも多くの食糧を備えなければならない
あなたたちの事情もわかります。
お掃除の行き届かないゆず家のこと、
甘いものがそこここに転がっているのも承知しています。
でもお願い。
床下、屋根裏、家具の裏。
どうかゆずの目にふれないところを通ってくださいな。
ゆずに無益な殺生させないで~~~!!
   
3月末に転んで骨盤を骨折し、入院中のジジ。
入院当初は

 : 「ここ(病院)はいいぞ。
     自分で何もしなくてもゴハンがでてくるからな。」

と言っていたのですが、
病院食生活が半月を過ぎた頃には飽きがきたようで、
看護師さんの目を盗んでは車椅子で売店に行き
お弁当やお菓子を買ってきていました。
病室の冷蔵庫にはいつもチョコレートやジュース。
糖尿持ちなのに困ったものです。

それでも売店程度ならまだいい、というか、
見て見ぬふりもしていられるのですが、
時に売店では手に入らないものが食べたくなると、
ゆずやミチャに買い物を頼んできます。

先日など、水都の有名うなぎ店のうな丼が食べたいからと
買いに走らされたし、
さすがにこれは却下しましたが、
美味い刺身が食べたいから刺身を買ってこいと言われたこともあります。
まったく自由なジジです。


ジジは甘いものだけでなく塩辛いものも大好き。
佃煮、塩辛、漬け物、ふりかけ。
炊きたてのごはんに味噌をつけて食べるのも大好きです。
おひたしやコロッケには、浸るほどの醤油やソースをかけます。
でも病院食では塩分はタブー。
なので小瓶の佃煮やふりかけを
こっそり食堂に持ち込んで食べているようです。

ただ、甘いものは自分で買いに行けますが、
大好きな漬け物はそんなわけにはいきません。
病院の売店には売っていないのですから。

たしかにこの減塩生活はジジにはツライでしょうね。
でも敢えて漬け物のないジジの生活を
見て見ぬふりしてきたゆずでしたが、
先日とうとうジジのガマンの限界に達したようで、

 : 「おい、漬け物持ってきてくれ。
     ナスと白菜と沢庵や。
     小さい入れ物じゃアカンぞ。
     大きいのにドカッと持ってこい。」


仕方ないなぁ。。。
というわけで、ちょうどワンカップの日本酒のビンほどの大きさの容器3本に
3種類の漬け物をいれて病院に持参。
うれしそうな顔で、

 : 「これだけあれば3~4日は食べられるな。」

というジジに、

 : 「3~4日? 何言ってるの。
     最低でも1週間はもたせなさい!!」

と、ゆず。


そのときは「ん、わかった。」と大人しく引き下がったジジですが、
それから2日半。
病院を訪ねたミチャに、ジジから買い物の依頼です。

 : 「このあいだな、ゆずに漬け物を持ってきてもらったのが
     美味かったんや。
     同じのをまた持ってきてくれや。」

1週間といわれていた漬け物をわずか2日半で食べきって、
ゆずには頼み辛かったのでしょうね。
もしかすると『おかわり』をこっそりミチャに頼んで、
ゆずにはちゃんと1週間に分けて食べたと言うつもり
だったのかもしれません。
ミチャとゆずとは裏でつながっていますからね、
そんなのバレバレなんですけど。


そしてミチャといっしょに『おかわり』の漬け物を持参した日、
塩分とりすぎだから少しは控えなさいというゆずに
ジジが言ったのは、

 : 「塩分か? ちゃんとわかっとる。
     ワシだって考えとるんや。
     ここ(病院)の食事はとにかく味が薄いから、
     こうやって漬け物で塩分のバランスを取っとるんや。
     ここの味付けがもうちょっとまともやったら、
     ワシだってこんなに漬け物食べたりせぇへんわ。」


・・・・。


このジジの無茶苦茶な理屈に、目が点。
あきれてものが言えなかったミチャとゆずだったのでした。
 
ある日の夕方。
水都のとあるショッピングモールの食料品売り場にて。

その日の夕食にマグロの山かけを作ろうと
鮮魚コーナーのマグロの冊(さく)を見ていた時のこと。
ゆずが1つのパックを手に取ったところ、
すぐ横にいた見知らぬオバサマから「待った!」がかかりました。

 : 「ダメよ、あなた。 そんなの選んじゃ。」

 : 「え? ダメですか、これ?」

 : 「ダメに決まってるじゃない。 
     ぜんぜん美味しそうじゃないわよ。」

 : 「そうですか? 十分美味しそうに見えますけど。」

 : 「私はね、毎日マグロを買ってるの。
     目は確かよ。
     そんなのうちの子なら見向きもしないわ。」

 : 「はぁ。」

 : 「そもそもここに並んでるのって解凍マグロでしょ。
     うちの子も以前は解凍ものでも食べたんだけど、
     最近は舌が肥えちゃってね。
     生じゃないと見向きもしないのよ。
     だから高いけど生マグロばかりよ。

     やっぱり生じゃなきゃダメよね。
     味がぜんぜん違うから。」


オバサマはそう言うと生マグロの刺身コーナーへ。
ゆずはというと、
オバサマのご忠告は無視して解凍マグロのパックを手にとり、
レジへ向かいます。
ココロの中で悪態つきながら。

 : 「ふんっ! 悪かったな。
     解凍マグロでも十分に美味しいと感じられる味覚しか
     持ち合わせなくて。」



そうそう。
オバサマのかわいいかわいいお子サマは、
名前をミミちゃんというそうです。

品種はアメショー。


・・って、

高級な生マグロを毎日お召し上がりになるのは・・・


ネコかいっ!!(=^・^=)


『元気』『丈夫』『パワフル』・・・。
これらの言葉を人物にするとこうなります、という見本のようなミチャ。
このところ鳴りを潜めていましたが、先日4ヶ月ぶりに完全復活しました。
というのもミチャ、実は去年の12月のはじめから
腰椎の圧迫骨折で身動きできない状態になっていたのです。

あのミチャが、いったい何をして骨折などしたのか。
事故に遭ったなんていう話は聞いていませんからね。
まさか格闘技でも始めた? 
重量挙げとかやってみた??
それともどこかの山で熊と戦った?
なにかのイベントで大型トラックと綱引きした??

妄想は膨らみますが、理由を聞いて思わず

はぁ??

となりました。

なんとミチャ、テレビ体操を見ながら
一緒に『軽~く』体操をしていたら骨折したのだそうです。
いったいどの程度の『軽さ』だったのかは疑問ですが、
ただ最強(最恐?)のミチャも寄る年波には勝てずということか、
骨がもろくなっていて、『たかが』テレビ体操の衝撃で骨折。
世に言う骨粗鬆症というやつですね。
診断を受けていちばん驚いていたのがミチャ本人でした。


病院を受診したその日、
入院か自宅で絶対安静かの選択を迫られ、
迷わず自宅で過ごすことを選択したミチャ。
動けないといっても口は元気ですからね、
夫(ジジの年の離れた弟)であるガッちゃんをコキ使います。

 : 「怖いのよ、あのオバサン。」
     「掃除しても洗濯しても文句ばっかり言うし、
     気に入らないとやり直しさせるし。」
     「まったく情け容赦なくボクのことコキ使うんだよ。」
     「やっぱり入院させるべきだったなぁ。。。」
     「もうムリ。 これ以上あのオバサンといっしょにいたら、
     こっちが病気になる~~(泣)」

この4ヶ月の間に
何度ガッちゃんから泣き言を聞かされたことか・・・。
でもガッちゃん、4ヶ月の鬼の特訓で
ずいぶん家事ができるようになったそうです。


さて、自宅安静期間中のミチャですが、
胴体はギプスで固定されていますから、
叩くとコンコンと音がします。
まるで鎧を着ているようなものです。
そんなミチャを、

 : 「鉄人28号かマグマ大使だね。」

と笑ったら、すかさずガッちゃんから訂正が入りました。

 : 「マグマ大使だって?
     ゴアだよ、ゴア! 
     正義の味方じゃなくて、悪の権化のほう。
     とにかく怖いのなんのって・・・。」


そんなミチャでしたが、先日4ヶ月の安静期間を終え、
ドクターの言葉を借りれば
『その年齢では信じられないほどの回復力』で見事に復活!
今までのストレスを発散するかのように、よりパワーアップしています。
まずは、めでたしめでたし。

・・と言いたいところですが、ちょうどミチャが復活するかしないかの3月末、
事件が起こりました。
今度はなんと、ジジが骨折です。


いつものようにかかりつけの内科に自分で車を運転して行き、
診察を終え、薬をもらい、病院の玄関を出て
駐車場の車までのほんの数メートルを
杖をつきながら歩きはじめたジジ。
数歩歩いたところで転倒し、体の左側を強打します。

運悪くその日の午前の診察はジジが最後だったため、
転倒したジジに気付いてくれる人はなく、
しばらくの間その場所で倒れたまま悶絶。
その後なんとか車までたどり着いたジジは自力で家まで運転し、
自宅からミチャを呼び出します。

 : 「転んだんや。
     整形に行きたいけど、耳が悪くて先生の話が聞こえへんから、
     一緒に行ってくれや。」

ミチャは車の免許は持っていないので、
ジジが運転して整形に行ったそうです。
まったくもぅ、どうしてゆずに連絡してこないのかねぇ。
ほんと困ったジジだよ。
と言ったら、ミチャに言われました。

 : 「怖いからだよ。 叱られるから。」


うっっ。。。



整形外科でのジジの診断は、左骨盤骨折。
正確には恥骨と坐骨の骨折で、自宅でベッド上安静。
左足底をつけることは厳禁だそうですが、
一人暮らしのジジに自宅安静をさせるためには
最低でも誰か一人が付きっきりにならないといけません。
でも、そんなのとてもじゃないけど無理。
事情を説明して、市内のTS会病院に入院させてもらうことにしました。


ジジの入院生活はいろいろとネタ満載なのですが、
それはまた別の機会に書くとして、
このミチャに引き続いてのジジの骨折に、ゆずの半世紀来の友人に
「次はアタシにならないように気をつけなきゃ。」
と話したら、彼女からキツ~イ言葉が返ってきました。

 : 「違うでしょ。
     そもそも骨折のスタートはアンタでしょ。
     一昨年の夏に左足骨折して、
     治ったことを確認しないままに病院に行かなくなってたでしょ。
     その骨折がミチャさんの骨折の直前あたりに
     やっと完治したってことじゃないの?
     骨折連鎖のスタート、諸悪の根源はアンタだよ!!


うっ、、、


言われてみれば確かに思い当たるフシが・・・。


いまこれをお読みの奇特な読者さま、
どうかこの連鎖が飛び火しないよう、
十分にお気をつけくださいませ。




オマケです。
1年半前の夏、ゆずが骨折したときはこのブログ開店休業中で
骨折についてはまったく触れていなかったのですが、
そのときのことは某SNSにちょっとだけ書いてました。
(そっちのSNSも数ヶ月に一度更新する程度で・・・(^ ^;)A)
以下はそのコピーです。



2016年8月8日 ·
ご心配いただきまして・・・。<(_ _)> <(_ _)>
 
骨折してからもう1ヶ月弱になります。
マサカ私に限って骨折などしないと、するはずがないと思ってたのに、
結婚式の定番スピーチじゃないけれど、人生には3つの坂、
上り坂、下り坂、そしてマサカの3つのサカがあるって本当ですね。
 
で、何してて折ったのかって?
歩いてたんですよ。
きれいにアスファルト舗装された道路を。
段差があったわけでもなく、
石ころが転がっていたわけでもありません。
坂道でもありません。

なぁ~んにもない平面を履きなれたサンダルで歩いていたのに、
なぜかグギッ!

確かに痛かった。
でも昔からよく足を挫くことがあったので、今回も同じだろうと
大して気にもせずに動き続けること2時間以上。
あれ、なんか痛みが増してきた気がする。
帰りに医者に行っておくかなと思いつつ、母のいる施設へ。
エレベーターの扉が開き、一歩踏み出したところで、
看護師さんの「ちょっとぉぉ、どうしたのよ、その足!」の声。

あぁ、ちょっと挫いたみたいと軽く答えたものの、
「そんな挫いたっていうレベルじゃないよ、それ。
 今すぐ医者に行きなさいっ!!」

ここに至って初めてしげしげと見つめた自分の左足。
あらまぁ、ヒザから下が見事に腫れ上がり、
つま先から足首の少し上までは内出血で青紫色。
あはは。
思わず笑っちゃいましたよ、自分の鈍感さに。
どおりで痛かったわけだ。(納得!)
 

その後、整形外科でレントゲンを撮ったところ、
第五中足骨(左足の小指の根元から足首のほうへのびる骨)の
足首に近いところが折れていて、即ギプス固定。
一週間後のレントゲン写真では骨折部分が広がっていると言われ、
「歩いたでしょ。
 この写真が歩いた証拠。
 歩いたらダメだって言ったでしょ!」
「そんなの無理ですっ!!」

その一週間後の写真では
折れて離れた骨の隙間が少し開いていると言われ、ふたたび
「歩いたでしょ。 歩くな!」
「無理ですっ!!」

そのまた一週間後にはその隙間が一層広がっていると言われ、
でもさすがにここまでくるとドクターも
「歩かずにいるの無理なんだよね?」
「はい、無理です。」
「まぁ、いずれくっつくよ。
 今まで医者やってて、折れた骨がくっつかなかったことはないから。
 気長にいきましょう。」
ドクターのほうが折れちゃいました。

そんなわけで、受傷後3週間以上になるのに、
骨はまったくくっつかず。(泣)
さぁて、今週の4回目のレントゲンでは、
いったいどんな画像が写っているんでしょうね。
 

それにしても、私に限って骨折などあり得ないと思ってたのに、
いとも簡単に骨折。
これって骨粗鬆症の兆し?

それとも・・・


え?  重量オーバー??
 

どっちにしても、キケンだ・・・。

  
ニョロニョロ

これ、ニョロニョロ。
ムーミン谷の不思議な生物です。
どうしてこんな画像をもってきたかというと・・・



春ですね。
水都の桜も間もなく満開を迎えます。

さて、冬のあいだ野菜高騰の危機から
ゆず家の食卓を守ってくれた庭の大根。
この暖かさで薹が立ってきたので
先日葉の部分をバッサリとカットしてやりました。
さすがに固くて煮物にはできませんが、
土の中にあるまだ白い部分は、おろしにするには十分。
しらすおろしにして美味しくいただいています。

ニョロニョロ??

これはゆず家の庭の写真。
葉をカットされた大根です。

ところでこの大根たち、
ニョロニョロに似てると思いません?

悲しい知らせが届きました。
過去に数回ブログに登場した高校時代の同級生が亡くなりました。
腎臓ガンでした。


病気が見つかったのは1年ちょっと前。
直前にはトライアスロンを完走するほどの健康体で、
その時期にガンが見つかったのは『幸運』といわれていたのに。


手術で片腎を取った彼は、驚くほどのスピードで仕事復帰。
子ども向けの百科事典『ポプラディア』を手に、文字通りの東奔西走。
日本中の学校や図書館を駆け回り、
子どもたちに『調べる』魅力を伝え続けていました。
そのときの彼を見てこんな結末を予測した人など
一人もいなかったはずです。


なのに・・・


ガンは数ヶ月で下大静脈に転移。
血管内で増殖を始めたガン細胞は血流に乗ってテリトリーを広げ、
じきに心臓にはいる大静脈に到達。

危険すぎて手術はできない場所です。
頼りの抗がん剤も効果が見られません。

そしてガンはその場所で増殖を続け、血液が心臓に戻るのを阻害。
彼から『生』を取り上げてしまったのです。
今月5日のことでした。
あと6日で誕生日を迎え、ゆずと同い年になるはずだったのに。


彼が亡くなった後、彼と親しかった人が主宰するメールマガジンで
急遽彼の追悼特集が組まれることになり、原稿を依頼されました。
高校時代の彼に触れられるような内容で、とのことでしたが、
そのメルマガの読者は『今』の彼を知る人ばかり。
おまけに図書館司書や学校の先生といった
文章に関わる職業の方が多いのです。
読者がかつての同級生というのなら、
こんなことがあったよ、あんなこともあったね、で済ませることが
できるのですが、
この状況では昔のことを熱く書いても浮いてしまいそうです。
だってそれってパソコンやスマホ全盛の今に時代に、
ワープロや自動車電話を賛美するようなものでしょ。

おまけにタイムリミットは3日。
時間がありません。
書くのは好きだけど、さすがにこれはキツイ。
でも書かないときっと後悔する・・・。

そんな思いの中で編集の方に送った原稿がこれ。
かなり前にmixiに書いた文章を書きなおしたものですが、
書き始めてみると一気に書けてしまいました。

これは言ってみれば、ゆずの心の中の彼の墓碑に刻むエピタフ。
こっそりとここに残しておきます。
   彼、「勝手にそんなもの刻むんじゃねぇっ!!」って言いそうだけど。




再会――あの日に思いを馳せて

午後2時。 四谷3丁目の交差点。
待ち合わせの場所に着いたのは、約束の時間の10分前だった。
彼は会議を抜け出してくると言っていた。
あたりを見回してみる。
広い通りの横断歩道のその向こう、小さく手を振っている彼を見つけた。

信号が青に変わり、彼が駆けてくる・・・。



彼と出会ったのは、高校のとき。
不思議と気が合った。

休み時間、放課後、日曜日・・・、いつも一緒にいた。
学級委員、生徒会役員、応援団・・・、いつも一緒だった。
高3の夏休みには、毎日テニス。
始業式の日には、そろって真っ黒に日焼けしていた。
受験勉強も一緒だった。
利用していた図書館で、おしゃべりが過ぎて叱られるのも一緒。
その彼がまさか図書館の『プロ』になるとはね。

将来の夢を熱く語る彼。
その頃から出版に関わる仕事がしたいと言っていた。
だから働きながら早稲田に行くんだと。

高校のときの夢に向かって突っ走ってきた彼。
そして有言実行。
すごいよ。 褒めてあげる。
でもちょっと急ぎ過ぎだよ。



信号が青に変わり、彼が駆けてくる・・・。

「久しぶりだね、元気だった?」
こんな会話の始まりを想像していた。
だって、四半世紀ぶりの再会。
でも彼の口から出てきた言葉は、
「そのカバン、派手すぎだろっ!」

え? 四半世紀ぶりの再会の第一声が、これ?

「派手?
 そっちのピンクとオレンジのボーダーのシャツと、いい勝負でしょ!」
「いや~ぁ、負けるね。 オレのは金色は入ってないっ!!」

まったく何を競っているんだか。
でもこれで一気に当時へとタイムスリップ。
瞬時に数十年の空白が埋まってしまった。


その後も彼とは数回会うことがあった。
最後に会ったのは、もう3年も前。
「どうしても行きたいところがある。でも一人じゃ行けないんだ。つきあってくれ。」
真顔で言う彼に連行されたのは、ある有名なスイーツ店。
「さすがにここ、男一人じゃ無理だから。」
そう言って笑いながら、美味しそうに、満足そうに抹茶パフェを食べていた。


東京と岐阜。
離れているから頻繁に会うことはできなかった。
でもだからいま、もう会うことが叶わなくなってしまったいま、
寂しさがほんの少しだけ薄まっているのかもしれないとも思う。
それでも十分すぎるほど寂しくて、溺れそうなほど悲しいけど。
だっていつの日か元気な・・、元気すぎるジィさんとバァさんになって、
昔話をしたかったんだよ。


いま、次に東京に行ったときには、
あのパフェの店に行ってみようと思っている。
あの日彼が食べていた抹茶パフェ。
追悼のパフェは涙の味がするかもしれない。

 
(3)からどうぞ

この会合から数日間は怒り狂っていたゆずですが、
委員長をやらされることに腹を立てていたのがすべてではありません。
過去にも学校の役員や地区の役員など
いろいろとやってきたゆずですから、
月に1回の会合やイベントの2つや3つ、
怒り狂うほどの負担だとは思っていません。
ただ釈然としないのは、今回の決定のプロセス。
要はBさんの『逃げ得』と、Aさんの『忖度』、
そして新年度の委員長から上手く逃れられたら
あとは他人事の某新役員の態度です。 
これにはいまだに納得できません。

まぁいいでしょう。
今回の決定についてはイマサラどうなるものでもありませんからね。
このネガティブな思いは1年後、
ゆずが次の年の委員長を決めなくてはいけなくなった時に
生かすことにしましょう。



さて、話を女性部に戻しましょう。
この女性部会ですが、メインの仕事は9月の敬老会の世話と
11月の地区のお祭りのうどん作りだそうです。
秋に開催されるこの2つの行事のために
4月から毎月毎月集まって必要なことを決めるんだとか。

以前、婦人会が女性部と名前を変えたばかりの頃は、
この2つの行事以外にも
ボランティアという名の強制労働(地区の公共施設の草取りや掃除)に
駆り出されたり、
授産施設への『ありがた迷惑』な(施設入所者のお母さんの言葉です)訪問に行かされたり、
不用品を各戸から集めてバザーを開かされたり、
平日の日帰り旅行に参加させられたり、
1枚について数円安くなるゴミ袋の注文を取って各家庭に届けさせられたり
(当然、集金業務もです)
ほぼ誰にも読まれない婦人会会報を作らされたり・・・と、
吠えたくなるほどの活動を強制されていましたから、
その当時に比べるとかなり楽な活動内容にはなっています。
でもこの2つが残っているということは、いまだに
女性部イコールお茶汲み係、お掃除係、お酌係ということなのでしょうね。


ちなみに女性部の活動がこの2つだけに減った理由は、
婦人会時代から長年にわたって会を仕切っていた方が辞められたから。
何年か前、強制的に女性部に入会させられ
頻繁にボランティアという名の強制労働に駆り出された
新しい会員の方ともめて、長年の会長さんが辞任。
それを機に当時の会員さんたちが活動内容を
思いっきり減らしたと聞いています。


さて継続となった2つの行事ですが、
ゆずの感覚ではそんなの行事前に数回集まれば十分に思われます。
いったいどうして準備期間が半年も必要なのでしょう。
手順は毎年のことだし、
敬老会なら変わるのは注文する食事の数と記念品の内容、
あとは当日の出し物の決定くらいのもの。
お祭りのうどん作りに関して言えば、
ほぼ前年度と同じ準備内容でいいはずです。
まったく半年も前から5回も6回も集まって、
いったい何を議論しようというのでしょう。

加えて、うどん作りに関して言えば、ひとつ気になることがあります。
うどんはお祭り会場のテントで用意されます。
前日にスープや具材、薬味を用意し、
当日は湯通しした麺に温めたスープをかけて具材をのせるだけですが、
過去に調理に関わる人が事前にO-157や026といった細菌や、
ノロウイルス・ロタウイルスなどのウイルス検査を受けたという話は
聞いたことがありません。
食の安全が叫ばれる今の時代に大丈夫なのでしょうかね、こんなことで。


まぁいいでしょう。
これで万一食中毒でも起きたときには、
少なくともうどん作りはなくなるでしょうからね。
そうなればこのお祭りを楽しみにしているお年寄りたちには
申し訳ないけれど、
女性部会員の大半はほっとするでしょうから。
(あ~~、アタシ、かなりイヤな奴になってますね。)

ここでわざわざ波風立てるつもりはないし、
やるとなったらきちんと義務は果たします。
一切の文句は言わずにね。
そしてとことんやった上で、年度末に
もう少し合理化しましょうよと言ってやりたいものです。

・・って、こんなんだからいつも言われるんですよね。
「ゆずさんと同じ年に役員やると、ほんとに楽で助かるわ。
だって何もしなくてもいいんだもん。
ゆずさんのおかげね。感謝だわぁ。」ってね。 
ふんっ! そんなこといわれても、嬉しくもなんともないっていうのっ!!

ただ・・・
いつも完璧にやるべきことをやった後で
言うこと言ってやろうと思いながら1年を過ごすわけですが、
この『言うべきことを言う』のがけっこう難しいんですよね。
間違いなくまわりから止められます。
地元のことなんだから最後の最後に波風立てるな、
そのまま静かに次の役員に引き継げってね。
前回女性部の役員だったときも、
年度末の総会で合理化の必要性を訴えようとして、
何人かの会員さんとそしてダンナさまから激しく止められましたから。
「今日、この総会の数時間をガマンしたら、
また10年は無関係でいられるんだから、
とにかく何も言わずに耐えろ!」ってね。



さぁて、もう間もなく来年度の活動が開始されます。
見てろよーーーっ!!

そして1年後、ゆずが次年度の委員長を決めるときには、
今回の理不尽な経験を十二分に生かしてやります。

K町自治会女性部の委員長選出に関して、
すでにゆずが心に決めていることは・・・

[その1]
個人的な事情での委員長拒否は認めません。
ほかのメンバーの協力を得て、1年間務めてください。
どうしても委員長はできないというのなら、
その状態で会合に参加して委員長にあたってしまっても
他の役員の方の迷惑になりますから、
委員長を引き受けられる人をお住いの班の中から選び直し、
自治会長の承認を得て、その人に出席してもらってください。

[その2]
高齢または免許がないことも委員長拒否の理由としては認められません。
高齢でできないというのなら、お嫁さんと世代交代してください。
免許がないというのなら、そしてご家族による送迎も望めないというのなら、
他の役員の中から『あなたのための』送迎担当者を決めるだけのことです。

[その3]
委員長を決める会合は、いかなる理由があろうとも欠席不可です。
どうしても都合がつかないというのなら、
全権を委任する代理の人を立ててください。
代理の人に関しても、自分は代理だからという言い分は認めません。
全権を委任するということは、
最悪、代わりに委員長をやっていただくということだとご理解ください。

[その4]
自ら委員長を引き受けてくれる人がいない限り、
くじ引きで次期委員長を決めますが、
くじ引きでは参加者数プラス1のくじを用意して、
最後の方も残りくじではなく、自分の意志でいずれかを選んでもらいます。
そして全員が委員長に当たらなかったときは、もう一度引き直しをします。
ゆずは残りくじで当たってしまいましたからね。


ふぅ。。 どうだ、これで。


そして・・、これが大事です。
『委員長選出に関しては、思いやりは大歓迎。
 でも一切の忖度はナシだーーーっ!!』


これで1年後、次の委員長を冷酷非道(?)に決め
その人に引き継ぐ日を夢見つつ、
女性部稼業に勤しむことにしましょう。

あ~あ、でもやっぱりため息が出ちゃうなぁ。。。
                            (おわり)
(2)からどうぞ

現委員長Aさんの慈悲深い『忖度』のとばっちりで、
来年度の委員長にされてしまったゆず。
欠席のBさんは事前に委員長Aさんに対して、
高齢と免許がないことを理由に
委員長はやりたくないと伝えていたというけれど、
そもそもそういった個人の事情が認められないのが
委員長決定の場。
仕事や子育て、介護など、皆それぞれの事情があるのですから。


本来はここで
「ご家族の協力を得て、1年間よろしくお願いします。」
と説得するのがAさんの役目のはずなのに、
Bさんの心情を最大限に『忖度』した行動に出たAさん。

いや、それは違う、
それは高齢のBさんに対する思いやりだなどと言うなかれ。
そもそもよく似た意味の忖度と思いやりですが、
ゆずは、思いやりは純粋に相手のための行為、
忖度は何らかの見返りを期待した行為だと解釈しています。

今回のAさんの場合は、Bさんへの心配りと見せかけて、
実は自分がBさんに委員長の通告するという煩わしい事態を
避けられることを見越した行為であり、
おそらくはBさんとの後々の人間関係を悪くしたくないという
思いがあっての行為なのですから、
思いやりではなく忖度です。


AさんはBさんが夜道で事故にでも遭ったらというけれど、
事故の危険なら車だって同じこと。
かく言うゆず、ありふれた日常のなかで
2度も即廃車になるような、
そのうちの1回は、よく生きていたと警察から褒められる(?)ような事故に
巻き込まれているのですから。


あ~~~

なんか納得できんーーーっ!!

会合への往き帰りに3度目の事故が降ってきたら
どうしてくれるんだーーーっ!!



そんなゆずの心のうちなど知る由もなく、
委員長に当たらなかった人たちからは、こんな声が聞こえてきました。
「やっぱりゆずさんが適任よね~~~。」
「ちゃんと落ち着くところへ落ち着くようになってるのよ。」


はあ?

何なんだ、それ。

早い話が自分じゃなきゃ誰でもいいってことだろっ!!(怒)



わかりました。 
委員長でもなんでもやってやりましょう。
やらなきゃいけないことは『徹底的に』やるのがゆずですから。
でもこれだけは言っておかなければなりません。

  : 「この中でご存じの人はたぶんいらっしゃらないと思いますが、
     私は夜に仕事を持ってます。
     自宅で個人指導塾を開いています。
 
     今年の委員長さんのお話しでは、
     委員長は毎月の夜の会議に
     出席しなければならないということですから、
     事前にできる限りの日程の調整はするつもりですが、
     定期テスト前や入試前は、変更が難しいこともでてきます。

     その時はここにいらっしゃる方のどなたかに
     会議への出席を代わっていただきたいので、
     そのことだけはご理解くださいね。」


そのとき来年度役員の1人が小さな声で隣の人に話しかける
こんな言葉が聞こえてきました。
(聞こえないふりをしてスルーしましたが。)

「でも仕事があるのはみんな同じ条件だよね。」


おい! それって代理出席はお断りってことか!? 
委員長なんだから、病気や怪我で動けない状況でもない限り、
会議には出ろっていうのか!?
仕事を理由に代理を頼むのは認められない。
『大切な』女性部の会議のためなんだから、
塾なんか休みにしろっていうのか!?

うちは代わりの教師などいないマンツーマンの個人指導塾。
代わりの教師が手配できる大手学習塾とは違います。
あなたのお子さんが通っている塾の担当教師が、
町内の会議を理由にテスト直前や入試直前に授業を休みにしたら、
あなた納得できるんですかっ!!


はぁ。。。
もうみんなすでに他人事か・・・。


わかりました。
少なくとも今それを口にした貴方にだけは、
決して会議への代理出席を頼んだりしませんっ!! 
自転車で県道を越えられないと言ったBさんにも、
自転車で行事の場所でもある地区センターに来てもらったりしませんっ!!
ご家族に送迎を頼めないのなら、
行事にも行事の準備にも参加お断りだーーーっ!!(怒りMAX)
                                       (つづく)

(1)からどうぞ

本来なら、これで会合は終わるはずでした。
が、ここで今年の委員長Aさんがこんなことを言いだしました。

 : 「私ってほんとうに運が悪いんだよね。
     去年は当たりくじ引いちゃって委員長やらされたし、
     今年はこの結果。
     自分の引いたくじで自分が役をやらされるのは仕方ないけど、
     欠席のBさんにあなたが委員長に決まったと
     言わなきゃいけないなんて・・・。
     どうしよう、私にはそんなこと言えないです。」


そんなこと言われてもねぇ。。。

  『それを伝えるのが現委員長さんの役目。
   私たちには関係のない話だし、
   早く解散にしましょうよ。』

皆、心の中では同じことを思っていたはずですが、
さすがにそれを口に出す者はなく、その場を沈黙が支配します。


Aさんは続けます。

 : 「皆さんには言わなかったけれど、
     Bさんからは事前に自分は高齢だし、自転車しか乗れないし、
     自転車で県道より南へは行ったことがないから
     委員長はできないって言われてたんです。
          ※Bさんの家から県道までは500mの距離。
            毎月の会合が行われる地区センターは県道より南にあります。

 
     なのにあなたが委員長に決まりましたなんて・・・
     やっぱり無理。
     そんなこと言えるわけないですよ。

     それに毎月の会合は夜だし、
     免許を持たない高齢のBさんに自転車で暗い道走らせて、
     もし事故にでも遭ったりしたら、
     無理矢理Bさんに委員長をやらせたここにいる皆さんも
     いい気分はしないんじゃないですか?」


あれ?? 


この人、自分でくじ引きの結果は絶対だと事前に言っていたのに、
何だこの変わり様は? 
そもそもBさんに無理矢理委員長をやらせようとしているのではなく、
くじ引きの結果そうなっただけのことなのに、
出席者6人が欠席裁判でBさんに押し付けたかのようになっています。


Aさんは新役員の一人ひとりにあらためて尋ねます。
 「こういう事情ですから、あなた委員長やってくれませんか?」


当然ながら、新役員の答えは全員そろってNOです。
そして再びの沈黙。。。

こうなることがわかっていたから、くじ引きにしたはずなのに、
どうして自分が言ったことを自分で覆そうとするかなぁ。


Bさんは確かに新役員の中では最高齢で70歳。
でも他所から来た若い嫁たちよりも
(40代50代、時として60代でさえ若いといわれる当地です)
地元に根付いた高齢者のほうが元気なのが『水都の田舎あるある』。
それにBさん宅にはお嫁さんもいるはずです。
女性部の役員は女性のいる各家庭から1人を出すわけですから、
高齢だから活動できないというなら、
お嫁さんに代替わりすればいいだけのことです。

そもそもBさん、その日も小雪の舞う中、
自転車でお仕事に行く気力も体力もあるわけだし、
考えてみればこの地区の小学校は県道よりもはるかに南、
Bさんの家からは約3㎞のところにあります。
中学校はもっと遠く、方向は逆ですが距離は約5㎞。 
Bさんは自転車で県道を越えたことがないというけれど、
子どもが小学校に通っている間、
入学式や卒業式、授業参観や運動会、個人懇談などで
県道を越えて小学校に行ったことはないとでもいうのでしょうか。

卒業後も同じです。
県道より南の地区センター(ここで女性部の会合が開かれます)が
指定の投票場所になっている選挙には、
過去一度も行ったことがないというのでしょうか。
矛盾だらけでしょ、それ。
え? 家族に車で連れて行ってもらった??
じゃあ今回もそうしたらいいじゃないですか。


Aさんは続けます。

 : 「Bさんについてはこういうご事情だし、
     どなたも委員長をお引き受けいただけないということですから
     もう一度Bさんは免除ということでくじ引きをし直したいのですが、
     それでいいですよね。」


いや、よくないだろっ!!


ははぁ、なるほど。
AさんはとBさんはご近所どうし。
後々の近所づきあいを考えると、
ここでイヤだというのを無理やり押し付けて
人間関係が悪くなるのを避けたいわけね。
でもそれはAさん個人の事情。
そんなことでこの場をかき回されたんじゃ、たまったものではありません。


 : 「委員長を引き受けられない個々の事情を考慮しだしたら、
     ここにいる全員が何らかの理由で
     委員長はできないっていうことになるのは
     最初からわかっていましたよね。
     だから平等にくじ引きにしたんじゃなかったんですか?」

 : 「じゃあ自分には無理だというBさんに
     委員長を押し付けたとして、
     もし事故に遭われたら、
     ここにいる皆さんはどう責任とるんですか。」


だから押し付けたんじゃなく、くじの結果だって言ってるのに。
完全に論点がすり替わっています。
でもその場にいた人たちは、そのことに気付いてないようで、

「事故の責任をとれっていわれても困るよね。」

などという、まんまと乗せられた声さえ聞こえてきます。


ここでせめてもの抵抗です。
ゆずから一つ質問をしてみました。

 : 「さきほどの委員長の仕事内容の説明では、
     毎月の全体会議に出席して、その内容をノートに書き留め、
     必要事項を地区の役員に連絡するのが仕事と言われましたよね。
     それならば、ここにいる6人で
     順番にその記録係を務めればいいんじゃないかと思うのですが、
     いかがですか?」

実はこれ、かつてゆずが小学校の広報委員をやったときの手法なのです。
実際に広報の編集をするのはゆずが引き受けるから、
名前だけの広報委員長でいいので
PTAの会合には他の人が行ってくださいと。

そのときはこれでうまくいったんですよね。(学校長と対立したりはしたけれど。)
だって皆がやりたくない広報の実務を、
ゆずが引き受けると言っているのですから。
もしこれに反対してくじ引きで自分が委員長になって、
広報を作らなくてはならないうえに
毎月の会合やPTAの本部役員会にも出席しなくてはいけなくなったら、
それこそ一大事ですからね。

でも今回はこの手法は通りませんでした。
理由は簡単。
進行役の今年の委員長Aさんには、
誰が委員長になろうと何のデメリットもないからです。

 : 「え? 順番ですか? じゃあその全体会議の内容はどうやって伝えるんですか?」

 : 「ノートを回覧したらいいんじゃないですか?」

 : 「でも連合自治会に正副委員長名を届けなければいけないので。」

 : 「だから、くじの結果に従って名前はBさんで届け出て、
     実際にはここにいる6人で
     順番に会議に出席したらいいんじゃないかと言っているんです。 
     委員長一人に全部の負担をかけるんじゃなく。 
     どう思われますか?」

 : 「おっしゃることはわかりますが、そんなの前例がないですから。」

 : 「前例は、なければ作ればいいだけのことではないですか。 
     前例にこだわり過ぎると進歩がないですよ。」

 : 「いや、やっぱり前例がないことをするのはマズイでしょ。 
     来年度のK町の女性部は毎回違う人が会議に出席します、
     なんてこと、私の口から上に報告できません。 
     くじの引き直しにします。
     皆さんそれでいいですよね。」


はぁ~~。

アタマ、固すぎっ!!

 
そんなんだから、
そんなふうに役員の負担を軽減する方向に動こうとしないから、
女性部役員が敬遠されるのよっ!!


結局、ゆずの抵抗も虚しく再度の委員長選出くじに突入。
最後に残ったくじが割り当てられたゆずが
見事に来年度の委員長となったのでした。(大泣)
                                   (つづく)

このタイトルの漢字、読めますよね。
昨年の流行語大賞を受賞したこの言葉『忖度(そんたく)』。
意味は
 『他人の心を推し量ること。また、推し量って相手に配慮すること。』
庶民の日常生活ではほとんど使われることはなく
1年前だったらおそらく読めない人が大半だったであろう言葉ですが、
モリカケ(森友・加計)問題以来、すっかりなじみのある言葉となりました。

そしてゆずは、先日この『忖度』に泣かされる経験をしました。
(今も継続中、っていうか、これから来年の3月まで続きます。)
今日の投稿は、ゆずのグチとウラミツラミ、悪態のオンパレードになります。
ココロしてお読みくださいませ。


ゆずの住む水都のK町自治会が加入するKN連合自治会は、
今も昭和30年代を引きずっているかのような古い体質。
6つの自治会から成っていて、
毎年各自治会から数名ずつの女性部の役員が選出され
この人たちが中心となって女性部の活動を運営します。
ゆずの住むK町の自治会からは住んでいる場所(班)ごとに各1人、
計7人の役員が選出されます。
とはいっても、自ら役員をやりたいと名乗り出る人などいるはずもなく
結局は順番制。
ゆず家のある班でも約10年に一度、女性部役員がまわってきます。

この女性部の組織、かつては婦人会という名の任意参加組織でした。 
さすがに戦時中の割烹着にたすき掛けで
日の丸を振るイメージこそなくなっていますが、
戦後から昭和中期にかけての、婦人会の活動でなら
嫁の立場にある女性が休日や夜に出かけることができた、
言い換えると婦人会の活動という理由がなければ
家を空けることができなかった時代の遺物のようなものです。 
でも今の時代、嫁の立場であろうがなかろうが、
女性が休日や夜間に出かけるなんて当たり前。
これに頭ごなしにNOというのは相当な石アタマだけ・・・、というか、
そんなことを口にしようものなら
強くなった嫁に袋叩きにされるのが関の山です。

こうなると、いろいろとシガラミのある婦人会の魅力は半減以下。
組織にあえて加入する意味などほとんどゼロとなります。
その結果、昔ながらの会員の方たちは別として、
若い人は誰も参加しなくなり、会の平均年齢はうなぎのぼり。
会員数も減る一方です。

これは水都のどの自治会でも同じ状況のようで、
婦人会は年々会員が減って会の継続が困難な状況になり
大半の自治会では婦人会の解散へと動いたわけですが、
ゆずの住むKN連合自治会では婦人会を自治会女性部と改名し、
地区在住の全世帯を強制加入させて存続させるという
時代逆行の手段での存続を決めたのでした。

この決定、長年婦人会で活動してきた人たちは会員が増えて
そしていろいろと面倒な役員は
新入の若手会員に任せることができて大喜び。
逆に強制的に加入させられた新入会員たちからは
大ブーイングとなったことは想像に難くないことでしょう。
とはいっても、不満いっぱいの新入会員たちに
自治会の決定を覆す力などあるはずもなく、
この強制加入による女性部の存続が既成事実となって
もう7~8年になります。


そんな女性部会の来年度の役員がゆずの番になり、
先日K町女性部の7人の新役員の中から
正副委員長を決めるための会合に出席するようにとの連絡がありました。

小雪の舞う悪天候の中、指定された場所に行くと
出席者は新役員7人の内の6人と、今年度の委員長さんの計7人。
事前に、
 「当日は話し合いでは委員長を決めることはおそらく無理だと思います。
  その場合はくじ引きで決めることになります。
  必ず出席してください。
  やむを得ない事情で欠席された場合は残りくじか、
  または代理の者がくじを引くことになりますが、
  その結果には一切のクレームは受け付けません。
  いいですね。」
と、脅迫まがい(?)の忠告を受けていましたから、
まさか欠席される方がいるとは思わなかったのですが、
欠席の1人は仕事でどうしても出席できないのだそうです。


さて、この日の進行役は今年度の委員長Aさん。
彼女はちょうど一年前に委員長の当たりくじを引いてしまった
自称『最悪のくじ運の持ち主』です。
Aさんは大まかな年間の活動の説明をしたあと、
 「どなたか委員長をお引き受けいただける方はいませんか?」
と尋ねますが、そんな奇特な人はいるはずもありません。
ということでくじ引き開始です。
欠席の方は1人だけですから、残りくじを欠席の方のくじということにします。

まずは一巡目。 委員長のくじ引き結果は・・
なんと出席者全員がハズレ。
つまりは当日欠席の人が委員長ということです。
この人をBさんと呼ぶことにしましょう。
Bさんは車の免許は持っていらっしゃいませんが、
事前の通告通り委員長をお引き受けいただき、
遠距離の移動が必要な時には
副委員長に選ばれた方が車で協力することになりました。
ご本人もそれを承知の上で欠席されているのですから当然ですよね。

そして二巡目。 次は副委員長のくじ引きです。
副委員長になったのは・・・
あらら、やはり車の免許をお持ちでない方。
メンバーの中でただ2人だけが免許を持っていないのですが、
その2人が正副委員長にあたってしまったわけです。


この結果に、その日の出席者は一同に胸をなでおろしました。
皆の思いは一つ。
「正の委員長にならなくてよかった。」です。
これは副委員長に選ばれた方も同じです。
副委員長はほとんど名前だけ。
連合自治会女性部の毎月の会合に参加する必要もなく、
実質的には一般の役員と何ら変わりはないのですから。


本来ならこれで会合は終わるはずでした。
が・・・。
                                        (つづく)
ゆずが使っているスマホはアイフォン5。
家電量販店のスマホ売場で
声をかけてきたお店の若いお店のお兄さんからは、

「ファイブですかっ!? それってもう化石ですよね。」(失礼なっ!)

と言われてしまいましたが、
ゆず家にはゆず以上のツワモノがいます。
それはムスメ。
なんとムスメのスマホはアイフォン4Sで、もう6年以上も使ってます。


動画をよく見るムスメにとって
4S限定のパケット無制限使い放題のプランが魅力的で、
なかなか新しい機種にする気になれないのだそうですが、
最近ではさすがにアプリ、特にLINEの反応が遅くなり
(立ち上がるまでに10分近くかかり、漢字変換にも時間がかかるらしい)
周りの友人たちから、いい加減に機種変してくれと懇願されているのだとか。

こんな状況ですから、ムスメのLINEでのやりとりは、
漢字変換の時間を節約するため、ひらがなが多くなります。
が、同音異義語の多い日本語のこと、
相手に正しく伝わらないことも多々あり。
先日もムスメが見せてくれたLINEのログに大笑いしました。


その日ムスメとその友人は、
野菜の値段についてLINEトークをしていたのだそうです。

友人 : 「最近、野菜が高いよね。 鍋物なんかもう高級メニューだよ。」

 : 「そうなんだ
      うちはにわ(庭)にだいこん(大根)があるし
      しんせき(親戚)からた(食)べきれないくらいの
      やさい(野菜)いただくから
      どうやったらしょうひ(消費)できるかとかんが(考)えてる」

 : 「うらやましい。
     野菜、高いんだよ。
     この間なんか、白菜4分の1カットで300円もしたんだから。」

 : 「そっか、こうとう(高騰)してるんだ
     そういえばうなぎ(鰻)もふりょうらしいね」

 : 「鰻が不良??」


数秒の沈黙。


そのとき頭に浮かんだのは、
金髪リーゼントでヤンキー座りのウナギ。


そして・・


大爆笑!!


いや~ぁ、ムスメよ。
なかなかユニークなオトモダチをお持ちのようで。

いや、それよりも、早くスマホ買い替えようよ。
 
小学校で習いましたよね。
酸性のものを中和させるにはアルカリ性のものを、
アルカリ性のものを中和させるには酸性のものを加えると。
反対の性質をもつものを加えればいいわけですね。


では質問です。
大根の煮物を作っていました。 
でも味付けの醤油を入れ過ぎて、かなり濃い、
塩辛い味になってしまいました。 
これを修正するには何を加えたらいいですか?

答えは『水』。
料理をする人ならすぐにわかりますよね。



はい、ではジジの場合です。

一人暮らしも1年半。
食事は外食をしたりお総菜を買ったりしてすませることが多いジジですが、
うどんや味噌汁、野菜炒めや煮物などは自分で作ることもあります。
先日は大根の煮物を作っていました。

こんなときは、料理の出来はさておき、褒めて褒めて褒めたおし、
少しでも自分で料理をするように仕向けているミチャとゆず。
だって料理は頭も使うし手先も使うし、ガスの火への注意も必要だし、
日常生活の中でできるボケ防止には最適ですからね。


さて、ジジが大根を炊いた翌日のこと。
その日、朝は忙しくてジジのところには寄れなかったゆずは、
仕事帰りにジジのところに立ち寄りました。
ジジはというと、自慢げに

 : 「昨日な、大根炊いたんや。
     美味かったで。
     ミチャも美味いっていって大きなのを3切れも食べてったで。」

 : 「そうか。がんばったんだ。
     これから大根が美味しい季節になるから、また炊くといいね。」

 : 「まだ少し残ってるで。
     お前も食べてけや。」

 : 「そぉ? じゃ、いただきます。」


しっかりと煮込まれた大根を一切れ小皿にとり、口へと運ぶと・・


ん??


なんていうか・・・、不思議な味。
かなり甘くて、同時にかなり醤油辛くて、
おまけに食感はヌルっとしてて・・・。


 : 「ん~~、これちょっと味濃すぎるわ。
     それになんかヌルヌルしてる。」

 : 「うん、ちょっとばかり醤油を入れ過ぎたからな。
     砂糖いれてバランスとってみた。
     まだ辛かったら、そこの砂糖かけろや。
     砂糖かけると美味いぞ。
     ほら、こうするんや。」


 : 「え?? 砂糖???」


???が脳内を飛び交うゆずの目の前で、
小皿の大根の煮物の上に砂糖が山盛り。


うっそぉぉおお!!


 : 「このヌルっとしたのはな、昆布や。
     根昆布だし、湯呑みに1杯、たっぷりと入れて煮込んだからな、
     いいだしが出てるやろ。」

いや、根昆布だしっていっても、ほとんど醤油と変わらない塩分だし。
それを湯呑み1杯って・・・。(絶句)



その晩のこと。
ミチャとの電話での会話です。

 : 「ねぇねぇ、ジジのあの大根、三切れも食べたんだって?」

 : 「そうなのよ。
     一口食べて、ちょっと辛いって言ったら砂糖かけられて、
     辛うじて一切れ食べきったら、
     たくさんあるからもっと食べろって言われてて、
     追加二切れ。(泣)」

 : 「ご愁傷さまでした。」

 : 「ゆずちゃんも食べた?
     いや、食べさせられた??」

 : 「うん、でも一切れで逃げてきた。」

 : 「私もそうしたかった・・・。」


甘いものが大好きで、甘けりゃ美味いと思っているジジ。
自分の作る料理は美味いと純粋に信じ、
娘や義妹に美味しいものを食べさせてやろうと
手料理を振る舞ってくれるジジ。
そこに悪意など全くないのはわかっているけれど、
如何せん想像を絶する味付け。

醤油を入れすぎたら、
砂糖ではなく水を入れろと何度も言っているのに
どうしても砂糖で『中和』させようとするんだよね。
以前、味噌汁を作ったときにも、味噌を入れすぎて辛くなったといって
砂糖を入れていたよなぁ。
あのときも砂糖じゃなく水を入れろとさんざん言ったのに、
聞く耳もたなかったっけ・・・。

不味い! とバッサリ切り捨ててやりたいけど、
そんなことした時には料理しなくなりそうだしなぁ。。。

かといって美味しいなんて言おうものなら、
気をよくしてまた不思議な味・・・
いや、不気味な味の煮物を食べさせられそうだしなぁ・・・。

煮物の美味しくなるこの季節、ミチャとゆずの悩みは尽きないのです。

今日はこれから先ときどき登場することになる人物を紹介しておきましょう。
といってもまったくの初登場ではなく、
過去にチラリと登場してたりするんですけどね。

その人はジジの弟の奥さんのミチャ。
ゆずにとっては叔母にあたるのですが、
『オバサン』などと呼ぼうものならジロリと睨まれ、
間違いなくシメられます。((+o+)))
ゆずどころか、ゆずのムスメやヤスカルさえも、
『オネエサン』と呼ぶことを強要されていますからね。


生前のババと仲が良くて、
ババが亡くなったときには誰よりも悲しんでいたミチャ。
たぶんババのがうつったのでしょうが、
ミチャはババをそのまんまコピーしたんじゃないかというような性格。

ゆずが初めて会った48年前のミチャは、
腰まである長い髪の、やさしくて上品なお姉さんだったのに、
変われば変わるもんだ。。。


ミチャはゆずよりちょうど一回り年上。
なのにゆずなど足元にも及ばないほどゲンキで、
朝は夜明け前から活動開始。
古希を迎えたいまも現役で仕事(かなりの力仕事です)をしていて、
パートなのに職場の男どもを仕切ってます。

ミチャは小柄で細い体型なのに、とんでもなく力持ちで、
30キロ入りの米袋なら2つをあっさりと一度に運びます。
これには見ているこちらのほうがボー然。
グツグツと煮立っている煮物の鍋に指をいれて味見をするし、
揚げ物をするときなど、180℃になろうかという天ぷら油に
直接指を突っ込んで温度をチェックしています。
もう・・、ア然。


お酒が好きで、おまけにめちゃくちゃ酒に強く、
ゆずやムスメ、職場の男どもからは、
ザルの目もないワク(枠)と呼ばれているミチャ。
晩酌が不味くなるからと、夕方以降は甘いジュースはもちろん
お茶や水さえ飲もうとしません。
熱中症になるぞと警告するんですけどね。

仕事を終えて家に帰ると、まずはキューーッと缶ビールを1本。
これが至福のひとときだそうで・・・。
そのあとは夕食の支度をしながら焼酎を飲んでるんだとか。

・・って、キッチンドリンカーかよっ!!


ミチャは車の免許は持っていませんが、
原付バイクで東奔西走。
「時速30キロの安全運転よ~~(^-^)」とか言いながら、
素知らぬ顔で国道を50キロで走るゆずの車を追い抜いていきます。
ま~~ぁ、パワフル! 豪快!!


ミチャは信州育ちの5人姉妹の4番目。
ご両親の次こそは男の子をという願いを
アッサリ裏切って生まれてきたミチャは、
ご両親から男でも通用する名前を付けられたと聞いています。
ちなみにミチャの妹さんの名はミヨ。 
真偽のほどはわかりませんが、生まれたときに
「ほぉれ、“みよ”。 また女だろ。」と周りからいわれ、
ミヨと名付けたとか付けなかったとか。
でも、当時のミチャはともかく、いまのミチャは
間違いなくご両親が望んだ『男の子』になってますね。


ミチャはゆずの実家近くに住んでいるので、
ほとんど毎日ジジの様子を見にきてくれています。
実家のことも(実家の物の在り処のみならず、友人や町内のお付き合いまで)
ゆずよりもはるかに詳しいので、ゆずも大いに助けられています。
ゆずにとっては、そしてジジにとっても、とても心強い存在なのです。


そんなミチャ、これからときどき登場します。
お楽しみに~~~。

突然ですが・・

昨日ババの百日忌と納骨を済ませました。


5月半ば、お世話になっていた施設で急に痙攣をおこしたババ。
痙攣は過去にも何度か起こしたことはあったけれど、
いつも注射1本、15分ほどで治まっていたので
誰も深刻には受け止めていなかったのですが、
その日は痙攣がなかなか治まらず
施設ドクターの勧めで総合病院へ救急搬送。
救急車の中では救急隊員さんの質問にちゃんと答え
ゆずとも会話(らしきもの)ができていたババですが、
結局この時の会話が最後の会話となりました。

運ばれた救命救急センターでは、
追加の注射と点滴でもやはり痙攣は治まらず、
外科手術で使う麻酔薬で深く眠らせ
神経の興奮を抑えて痙攣を鎮める治療を開始。
これ、注射と点滴で痙攣が治まらないときの
デフォルトの治療方法だそうです。

が・・・。

この治療で一旦は体の痙攣は治まったのですが、
麻酔を覚まそうとするとまた痙攣が再発。
再び麻酔薬を投与し、
痙攣が治まると麻酔薬を減らして覚醒させようとするものの
やはり痙攣が再発。
これを繰り返し、最終的に麻酔薬を
限界量(通常の外科手術で使う麻酔薬の5倍量)まで増やしてみても
脳波レベルでの痙攣は治まりません。
そのうちに痙攣のストレスから潰瘍による胃出血と
たこつぼ型心筋症を発症し、徐脈も頻発。
ババにつけられている監視装置からは、常時アラーム音が鳴り響きます。
そして痙攣発作から2週間後の5月26日未明、
ババは意識の戻らないまま息を引き取りました。


亡くなったその日は金曜日で、
翌土曜日に通夜、日曜日に近親者だけで葬儀を営みましたが、
両日とも暑くもなく寒くもなく、雨に降られることもなく、
週末で誰一人仕事を休むこともなく、
「あぁ、ババらしいな。 きっとこの日を選んで旅立ったんだよ。」
と皆で話したものでした。


その後は役所の手続き、四十九日法要と香典返し、納骨の申請、
初盆、墓石の手配、納骨の準備と目の回るような忙しさの日々が続き、
気がつけばもう9月。
昨日百日の法要と納骨を終え、
あとはほぼ相続の手続きを残すだけとなりましたが、
いま思えばこの忙しさにずいぶん救われたような気がします。
完全に一人暮らしとなったジジの世話も含め、
実際、悲しんでいるヒマさえなかったのですから。


で、昨日の納骨ですが、実は小さなヒミツがあります。

若かったころのババは、
姑である大ババ(11年前に他界)との折り合いがあまりよくなかったようで、
何かにつけて叱られていました。
幼かったゆずが服を汚したり食べこぼして部屋を汚したりしても
ババが叱られていた・・・。
ゆずにはそんな記憶があります。

また、ババの夫であるジジは良くも悪くもマイペースな人で、
そのマイペースさは年を重ねるたびにパワーアップ。
ババはずいぶん振りまわされていました。
そんなジジにまつわるストレスの記憶からか、
施設に入っているときはずいぶんとジジを嫌っていたババ。
施設にジジが会いに来ても、
「帰れ! 顔見るとイラつく!」とよく言っていましたが、
耳の遠いジジにはまったく聞こえていないのが幸いでした。

ちなみにジジのマイペースに振りまわされる役どころは、
現在ゆずに引き継がれております。
一つ屋根の下で暮らしていたら、絶対大ゲンカだわ!!

そんなわけで、ババの家族ストレスを間近に見てきたゆずとしては、
ババの遺骨をすべて大ババと、そしていずれはジジと
『一つ墓の下』に納めるのはどうにも忍びなく、
実は誰にも話していないのですが
ババの骨を2カケラ、小さなカプセルに移して
ゆずの仕事部屋の超ミニ仏壇(それが仏壇であることにさえ
誰も気付いていません。)に納めてあります。
1カケラはババが大好きだった温泉に、
もう1カケラはしばらくの間ゆずの手元に置いたあと、
ババの好きそうな場所に埋めてやろうと考えています。


ふふっ。 実はこれ、ゆずの望みでもあるんですよね。
ゆずが死んだあと、ほんとうはゆず家の墓地に・・
というか人間関係の面倒なこの地区の墓地に骨を納めないでほしい。
できることなら桜葬にしてほしい。
でもいろいろなシガラミからそれは無理だろうから、
せめて骨の1カケラでいいから自由にしてほしい・・・、ってね。
ダンナさまが嫌いなわけじゃないけれど、
死んだ後くらい少しのワガママきいてほしい・・・、ってね。



施設暮らしのババとの笑える話など書き留めようと思って
半年前に作ったこの『かいごのご』カテゴリー。
こんなに早く主役が旅立ってしまうとは思っていませんでした。

あれ? ババはブログネタにされるのがイヤで彼岸へ逃げたのか??


というわけで、これからは主役交代。
ババの思い出話と自由すぎるジジの話など、またボチボチ書いていこうかと思ってます。





ふぅ~~。 やっと書けた。
今まで何度か書きはじめようとしたことはあったんだけど、
ババの入院の経緯を書こうとすると感情がこみあげてきて書けなかったんですよ。
時間のチカラってすごい・・・。


母の日の週末、久しぶりにヤスカルが帰省しました。
昨年末にユネスコの無形文化遺産に登録された水都のお祭りと
ヤスカルが高校生の頃に所属していたギターオーケストラの
定期演奏会が重なったので、
定演のサポートも兼ねて、十数年ぶりのお祭り帰省です。


そして月曜日。
ゆずはヤスカルを新幹線の駅まで送るため、半日有休。
昼ごはんに寿司が食べたいというヤスカルと
回転寿司に行きます。

ただこのお店、回転寿司と侮ることなかれ。
ネタもよく、味もよく、そしてお値段もなかなかです。
この日の会計は二人で六千円弱。
ね、アルコール抜き、ランチタイムの回転寿司にしては
なかなかの値段でしょ。


さて、食べ終わって店員さんに声をかけ、会計をしてもらいます。
お皿をカウントし、会計伝票に記入。

するとヤスカル、

 : 「ここはボクが。」

と言って伝票を手に取ります。

ゆずはというと、

 : 「あら、それはどうも。
     ではお言葉に甘えさせていただきますわ。」


これ、よくあるやり取りなんです。
あ、でも、よくできたヤスカルなどと言うなかれ。

省略されている部分をちゃんと書くと、

 : 「ここはボクが、伝票をレジまで運びます
     支払いはヨロシク。
     ごちそうさま~~。

これがいつもの実態なのですから。


さて、この日も伝票を手にレジへと向かうヤスカル。

な、な、なんと!!

財布を取り出し、ホントに支払おうとしているではないですか。


え? 


ええっ?!!


某歌手の歌の歌詞ではないけれど、まさに

『おまえ大丈夫かと オデコに手を当てた~~♪』

な、ゆず。
いま目にしているものが信じられません。


ヤスカル曰く、

 : 「え? もしかして、またネタだと思った?
     今日はマジだよ。
     きのう母の日だったから、何か買って帰ろうかと思ったんだけど、
     ピンとくるものがなくてさ。
     だからここは御馳走させていただきます。」

だそうです。


いや~~ぁ、完全にヤラレました。
ホントにホントにビッグ・サプライズ。

でも、ヤスカルがちょっとオトナになったみたいで、
(ってヤスカルももう32歳。 疑いようのないオトナなんですけどね。)
喜びを味わっているゆずなのです。

母の日の日曜日、ゆず宛ての荷物が届きました。
送り主はムスメ。
母の日のギフトだそうです。

箱から出てきたのは、光触媒加工をしたアレンジフラワー。
生花ではありませんが、
鮮やかなオレンジや黄色のバラやカラーのはいった
おしゃれなアレンジです。

: 「光触媒加工をしてあると、部屋の空気をキレイにしてくれるし、
     汚れたら水洗いができるんだって。
     ゆずタンが副業に使っている部屋、殺風景だから、
     そこに置くといいんじゃない?」

と、ムスメ。

 : 「サンキュ!
     でも母の日ギフトっていってるけど、
     カーネーションじゃないんだね。」

: 「だって、この時期に値段バカ高くて
     なのにせいぜい一週間しかもたない
     カーネーションの生花を買うなんて
     どう考えてもムダでしょ?」

なんだそうです。
(いや、それは違うだろと思いつつも、全否定できないアタシ・・・。)


さて、その日のゆずはというと、
かつてヤスカルが水都に住んでいたころに所属していた
ギターオーケストラの定期演奏会にダンナさまと行っていて、
家に戻ったのは夕方。
荷物は昼過ぎに届いたので、荷物を受け取ったのは留守番のムスメでした。

: 「自分の送った荷物を自分で受け取っちゃった。
     なんかビミョ~~~。
     予想外の荷物で驚かそうと思ったのに、サプライズ失敗やん。
     昼間留守にするならちゃんと言っといてよねっ!
     そしたら夜の配達を指定したのに。」

なんかよくわからない理由で叱られちゃいましたが、
いえいえ、サプライズは十分成功してますよ。



それにしてもムスメからの母の日ギフト。
かつてこんなことがありました。
http://yuzuriha128.blog68.fc2.com/blog-entry-490.html

カーネーションの一本も入っていないアレンジ。
あいかわらずの造花。
ムスメよ、きみの本質は昔も今も変わってないんだね。
 
クモ膜下出血で脳に大きなダメージを受けたババ。
自分の置かれている状況の、はたして何パーセントを
理解できているのかは定かではありませんが、
「人の世話にならないと何もできないから、自殺しようと思う。」という言葉が
ババの口から出てきたことは、ゆずにとって小さからぬ衝撃でした。

動かない左半身、歩けない足。
住み慣れた家にも帰れず、
食べたいときに食べたいものを食べることもできない生活。
ふつうの神経なら辛いのはわかりきっていますが、
ババの場合、辛いと感じる脳の部分にも障害を受けているようで、
ゆずにとってはそれが救いでもあったのですが、
マジメな顔で自殺しようと思うって言われるとねぇ。。。

「手伝ってやらないから、
飛び降りたいならちゃんとリハビリして、自力で屋上へ行け。」
と言って返すのが精一杯でした。
だって、2度目の手術の同意書にサインをしなかったら、
ババはそんな辛い思いをしなくても彼岸へと旅立てたわけですから。


ババが日々何を思い、何を感じているのかは、正直なところわかりません。
担当看護師さんによると、
ババは認知症の人にはできないはずのことを
難なくやってのけたりするので(※1)
ババの場合は認知症というよりは脳のダメージによる認知機能障害と
考えるべきなのだそうです。
なので当然、対応の仕方も認知症患者とは異なるのだとか。

たとえば加齢による認知症患者に対しては
行動や言動を否定しないのが原則なのですが、
ババに対しては、してはいけないことはいけないと
ちゃんと言葉で指摘しているそうです(※2)。
ただババの場合、指摘されたその時には理解するのだけれど、
その記憶が長く留まらないのが脳機能障害たる所以なのですが。


その後のババはというと、
あいかわらずいろいろと面白いことを言ってくれますが、
マジメな顔で自殺を口にすることはなくなりました。
いまババの頭の中では
いろいろとババなりの心配ごとのタネが尽きないみたいで、
日々解決策を模索しているようです。

たとえば、ババの脳内では
ゆずのムスメ(ババの孫)は離婚したことになっていて
(現実には離婚どころか結婚もしていないのですが)、
「生活態度を改めるように言っておけ、
 そうしないとまた嫁ぎ先から返されてくるから。」とか、
会社を再建しなければいけないから
(ババの中では息子に引き継いだ会社は倒産したことになっているようです)
社員を全員集めて太鼓を打ち鳴らして
まずは景気付けをしろとか。

太鼓? へ?? 

でも太鼓叩いて景気付けっていうのはとってもババらしい気がします。
こんな状態になっても、人間の本質って変わらないんでしょうかね。

そうそう、ゆずはこのあいだババに叱られましたよ。
「年金詐欺には気をつけなさいって言ったでしょ。
 そんなものにひっかかるなんて、気が緩んでる証拠です!」
と、真面目な顔で。
まだ年金受給年齢じゃないっていうのにね。


デキの悪い孫は三下り半を突き付けられ、
バカな娘は年金詐欺にひっかかり、
社長の器じゃない息子に渡した会社は倒産する。
元気なころのババが実際にこんな状況に放り込まれたら、
やっぱりすべてを再建するために忙しく走り回るんだろうなと思うと、
ちょっと笑えてしまいますが、
ババのこの妄想も、もしかすると
ババに目的意識を持たせるという意味ではいいことなのかもしれませんね。

さぁて、これからもババの妄想に付き合って、
年金詐欺にひっかかるバカな娘を演じてみることにしましょうか。
瓢箪から駒が出たりしないように気をつけて・・・。


(※1)
長谷川式スケールにある『知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください』という質問に、認知症の人は数個しか挙げられないのが一般的ですが、ババは10でも20でも挙げられます。
(※2)
ババは靴や靴下、時には来ている洋服を脱ごうとします。また麻痺のある側の肩の脱臼防止のために使っているアームホルダーも外そうとします。そんなときは『ケガをするから靴を脱いではいけません。』 『寒いから服は脱ぎません。』と復唱させて脱いだものを戻しています。

なにやら危ないタイトルですが、実行するかどうかは別として、
誰しも死んでしまいたいと思ったことの一度や二度、あることと思います。 
テストの点数が悪かったから。 受験に失敗したから。
カレシにふられたから。 
会社をクビになったから。 借金が膨らんでどうしようもなくなったから。
生きていても何もいいことなんかないから。 
理由は人それぞれ、そしてさまざまでしょうが、
今日はババの自殺願望について書くことにしましょう。
(※この記事は昨年夏に別のサイトで書いたものの転載です。)


ババは一昨年末にクモ膜下出血で倒れました。
何年か前だったら間違いなく消えていたであろうババの命の灯は
医学の進歩によって灯り続けることができ、
左半身麻痺と高次脳機能障害(※)は残ったものの、
今ではなんとか車椅子に座れるようになっています。 

とはいっても脳に大きなダメージを受けていますので、
認知機能には大いに問題あり。
今は、この世界とババのオリジナルのどこか別の世界とを
行ったり来たりしながら、施設で暮らしています。
 

そんなババが先日、マジメな顔でこんなことを言いました。

 :  「私ね、こんな身体だし、
     人の世話にならないと何にもできないし、
     だからもう自殺しようと思うの。」

『普通』の人がこんなことを言ったら、周りはきっと驚き慌てるのでしょうね。
でもこれを口にしたのは、半分別の世界で生きているババ。 
この半年余りでババとの会話のコツもずいぶんつかめてきましたからね、
ちょっとやそっとで慌てたりしません。


会話はこんなふうに続きました。

  : 「そうか、自殺するんだ。」

  : 「うん、するよ。」

  : 「どうやって自殺する?」

  : 「ここの上(屋上)から飛び降りる。」

  : 「そう。飛び降りるのね。 
     でも、私もここの人たちも、ババが死んじゃうと寂しいから、
     自殺のお手伝いはしてあげないよ。」

  : 「大丈夫。自分で飛び降りるから。」

  : 「自分で? じゃあ、屋上に行けるようにならないといけないよね。」

  : 「うん。」

  : 「だとすると、まずはほら、その車椅子から立ち上がって、
     歩けるようにならないとね。」

  : 「わかってる。」

  : 「この間リハビリの先生がね、
     ババはリハビリあんまりがんばってないって言ってたよ。
     がんばってリハビリしないと自分で屋上に行けないし、
     自殺できないんじゃない?」

  : 「・・・。」

  : 「どうする?」

  : 「わかった。 がんばってリハビリして屋上に行けるようにする!」

その後、ババの自殺願望がどうなったのかはわかりませんが、
ババがちゃんと(?)自殺するためには、
かなり高いハードルを越えなければならないことは間違いありません。


(※)高次脳機能障害
 病気や怪我などで 脳に損傷を受け、 言語・思考・記憶・行為・ 学習・注意に障害が起こってしまった状態。ババの場合は左半側空間無視と記憶障害、注意力・集中力の欠如が大きな症状として出ています。

1年前の電力自由化に続き、
今月からガスの小売り自由化も始まりましたね。
身の回りのものが軒並み値上げの昨今、
光熱費を少しでも安く抑えるのは、家計を預かる主婦にとっては重要課題。
どの業者にするかを考えている人も多いことと思います。

で、ゆず家はというと、今回のガスの自由化にはまったくの無関心。
オール電化にしているわけではありませんよ。
毎日のようにガスを使っています。
ただ残念ながら、都市ガスではなくプロパンガスなんですよね。
だから今回の自由化もまったくの他人事なのです。


なぜプロパンにしてるのかって?

 
だってプロパンは料金は割高だけど、災害時に強いっていうじゃないですか。
いざっていうときのことを考えると、やっぱりプロパンのほうが・・・


・・・っていうのはウソ。


そもそもゆず家一帯には、都市ガスの供給設備そのものがありません。
なので選択の余地ナシ。
プロパンにせざるを得ないのが現状なのです。


ゆず家に届く固定資産税の通知では、ゆず家は市街化区域内になっていて、
都市計画税もシッカリ加算されています。
なのにゆずがここに引っ越してきて以来32年、
都市ガス供給に関してはまったくの『蚊帳の外』。
下水道だって敷設されてまだ10年にもなりません。


いったいどこが市街化なんだーーっ!!(怒)



この話を友人Aと友人Bにしたところ、
揃いも揃って、こんな反応をしてくれました。

 : 「あはは。 それ市街化じゃなくて、市化区域なんじゃない?」

 : 「ちゃうちゃう。 この子のことだから、市化!」

と、言いたい放題。


まったく、もーーーっ!!

放っといてくれ!!

ムスメが事故に遭いました。
朝、職場へ向かう渋滞中の国道で追突され、
見事に頸椎捻挫。
俗に言う『むち打ち症』です。

首を動かすと痛みがあるらしく、
常時頭の上に本でも乗せているかのような姿勢をキープ。
あまりの姿勢の良さに、思わず笑いそうになってしまいます。



ぶつけられたアマガエル色の車はというと、
後部がつぶれて只今入院中。
渋滞中でスピードは出ていなかったはずなのに、こんなにつぶれるなんて
ノーブレーキどころか、ブレーキとアクセル踏み間違えたんじゃない? 
と言いたくなってしまいます。


車の修理には、1ヶ月以上かかるそうです。

 : 「え~~~、1ヶ月ぅぅ!?」

一週間くらいで戻ってくるかなぁと思っていたムスメにとって
想定外の修理期間のようですが、
これにはダンナさまが納得の説明をしてくれました。

その車、12年選手だろ?
さすがに部品の在庫なんてないだろうから、
特注で部品作るところから始めるんだろうな。
だから1ヶ月くらいかかるんだよ。

な~るほど。 納得!!


ただ・・

修理に持ち込んだディーラーの担当さんは
きっとココロの中で叫んでたでしょうね。

「修理するなんて言うなーーっ!
 もういい加減、買い替えろよっ!!」

ってね。



ところでこの事故の加害者さんですが、
アクセルとブレーキの踏み間違いを疑うような状況ですから
高齢のドライバーかと思いきや、
なんと19歳、社会人1年生のお兄ちゃん。
初めての事故でテンパっちゃってるらしく、


 : 「あの・・、ボクどうすればいいんでしょう?」


結局、ムスメが警察への連絡や相手の保険会社への
連絡もしたようです。
(ん? なんか・・どっかで聞いたような話だ。)
なにしろムスメ、今回で3度目の被害者事故経験者。

初回は原付で信号待ち中。
後ろから来た若いオネーさんの運転する車が
(のちにこのオネーさん、ヤスカルの同級生だと判明!)
わき見だか前方不注意だかで赤信号停止中の前の車に追突しそうになり、
慌てて急ブレーキをかけ、ハンドルを左に切っちゃったもんだから、
そこで信号待ちしていたムスメに衝突。
転倒して負傷です。

二度目は今回と同じ国道で、やはり同じ朝の通勤途上。
相手は夜勤明けのオバサン。
ミラーに映る後続車の不安定な動きに不安を感じ、
車線を変えようと思った矢先の追突事故。
運転していたオバサンは、居眠り運転で追突してきたにもかかわらず、
車を降りるや否や、アンタが急に車線変更して
私の前に割り込んできたせいだと言い張ったそうですが、
目撃者多数ですからね、
全面的に相手の過失で決着しました。
この時は車がヘコんだだけで、ケガはなし。

そして今回が3回目。
まぁ、ある意味、慣れますね。



さて、その日の夜のことです。
加害者のお兄さんが、謝罪にとゆず家にやってきました。

ムスメの職場は地域に根ざす金融機関ですからね、
地元での事故にはかなり慎重かつ厳しい対応をしてきます。
今回の事故は相手の過失100%の事故ですから
ムスメが咎められることはありませんが、
それでも何枚もの書類を提出しなければなりません。

その書類の一枚に加害者情報の欄があり、
住所・氏名・電話番号・勤務先等を書くのですが、
その書類を書いていたお兄さんの手が途中で止まりました。
止まったのは自宅電話番号の欄。
携帯番号はスラスラと書いたお兄さんですが、なんと・・


なんと・・・


 : 「あの・・ 自宅の電話番号わからないんですけど。」

 : 「え? 固定電話ひいてないの?」

 : 「いえ、あります。
     でも番号知らないんです。」

 : 「へ??」

 : 「あの・・ 電話で聞けばわかるんですけど、
     家に電話かけてもいいですか?」

 : 「は??」


家の番号わからないのに家に電話?
と思ったら、お母さんの携帯に電話をかけ始めました。
あ、そういうことね。

 : 「あのさぁ、家の電話番号教えてほしいんだけど。」

 : 「なんでよ?」

 : 「事故の相手が知りたいって。」

 : 「なんでそんなもの教えなあかんのよ。
     あんたのケータイでいいやろ、ケータイで!」

 : 「相手の会社に出す書類に書かなきゃいけないんだって。
     だから教えて。」

 : 「まったく、なんでやの!
     面倒くさいなぁ。
     そもそもあんたが事故なんか起こすから・・・(罵詈雑言・続く)」


こんなやりとりのあと、
無事に書類に固定電話番号を記入してもらったムスメですが、
イマドキのケータイ世代の若者たちって、
自宅の電話番号なんて知らないのがフツウなんでしょうかねぇ。
昔は、少なくともムスメやヤスカルが子どもの頃には、
片言が喋れるようになると、
自分の名前と親の名前・住所・電話番号を答えられるように
教え込んだものですけどね。


 : 「お名前は?」

 : 「教えてあげない。」

 : 「お年は?」

 : 「言わない。」

 : 「おうちはどこ?」

 : 「ナイショ。コジンジョーホーだから。」

 : 「おうちの電話番号いえる?」

 : 「そんなの知らない。」


これからの時代、縁日やショッピングモールの迷子センターで、
こんな会話がされるようになるのかもしれませんね。




余談ですが、
上の事故加害者のお兄さんとそのお母さんの会話の内容、
どうしてムスメが知っているかというと、
お兄さんはケータイで普通に(スピーカー通話ではなく)話していたのですが、
お母さんのイライラ度があまりにも高くて、つい大声でまくしたてたのか、
それともケータイの音漏れ防止機能が劣っていたのか、
ぜ~~んぶ聞こえていたのだそうです。
アタシも気をつけよ。
 
ダンナさま、61歳。
定年まで勤務した会社を、再雇用半年で退職。
その後しばらくは失業保険を受給しながら
主夫生活を謳歌(?)していましたが、
先月新しい会社に就職が決まり、
「疲れる」を連発しながら、約10年ぶりの電車通勤をしています。
そのダンナさまが求職中の話です。


経験のある方はご存知でしょうが、
失業保険を受給するには、4週間に一度の認定日までに
2回の就職活動実績を作らなくてはなりません。
認定日に、
 『働く意思はあって就職のために活動をしているけれど、
  意に反して仕事が見つからない状態』
であるという認定を受けて初めて、失業保険が支払われるわけです。

とはいってもいまの世の中、
60歳を過ぎた人の求人など数えるほどしかありません。
あっても低い時給で専門性など不要な求人ばかり。
こんな状況ですから、就職活動実績を作ろうにも
応募したい企業がないのが実情です。

そこでどうするかというと、
手っ取り早くハローワークが主催するセミナーに参加して、
活動実績を作ることになります。
ダンナさまもいくつかのセミナーに参加していましたが、
はっきりいって単なる実績数稼ぎ。
『履歴書の書き方』や『面接の作法』のセミナーなんて
新卒じゃあるまいし・・・ね。

でも、ひとつだけちょっとの興味を持って参加したセミナーがありました。
それは介護に関するセミナー。
ババがあんな状態ですからね、
なにか役に立つ情報があるかもしれないから
参加してみることにしたと言っていました。


介護の現場はどこも人手不足です。
このセミナーも、早い話が介護職なら今すぐに誰でも就職できるという内容。
ダンナさまが初めてハローワークの就職相談に行った時も、
 「60歳過ぎてますからね、ご希望の条件の就職は、なかなか厳しいですよ。
  介護職はどうですか?
  介護職なら今すぐにでもご紹介できますよ。」
と言われたそうですから、
深刻な人手不足の様子がひしひしと伝わってきます。


でも・・・。
ほんとうにこんなことでいいのでしょうか。


ババのお世話になっている施設の職員さんを見て思うのは、
介護の仕事のたいへんさ。
生半可な気持ちで介護職についても、長続きしないのは目に見えています。
実際、すぐにやめてしまう人が多いのでしょうね。
介護施設はどこも常時求人が出ているし、
ババのいる施設でも、若い介護スタッフの顔ぶれは
かなり頻繁に変わっています。

それなのに、
『仕事ないの? 仕事したいの?
 じゃあ、とりあえず介護。 まずは介護。 
 介護はいかが? お買い得だよ!』
とでもいうかのような、あまりにも安易な介護職への斡旋。
これはないよなぁと思ってしまいます。


かつて高度経済成長の頃、教師が不足して誰でも教師になれた時代に
『でもしか先生』という言葉がありました。
他にやりたい仕事がないから、『先生でもやろう』。
特別な技能が何もないから、『先生しかなれない』。
そんなネガティブな理由で教職に就いた先生を指して言った言葉です。

でもしか先生も困ったものですが、
『でもしか介護職』なんていうのはほんとうにナシにしてもらいたいものです。
いままで日本を支えてきた人たちの、生命と尊厳がかかっているのですから。

もう30年近くも前のことですが、
『らくごの ご』 というテレビ番組がありました。

笑福亭鶴瓶さんと桂ざこばさんの二人が
即興で落語を披露する番組なのですが、
噺の中には、その日の観客が挙げたいくつかのお題の中から
ゲストが選んだ3つのお題を入れなければなりません。
大好きだったんですよね、この番組。
落語家さんの噺の見事さに圧倒されるのはもちろんのこと、
ときにオチがつけられないと半泣きになるさこばさんを見るのも
おもしろくて。(Sっ気あり!)

その番組名の 『らくごの ご』 になぞらえて、
『かいごの ご』 というカテゴリを作ってみました。
ジジ・ババとの笑える話や、
公的介護保険制度と介護の仕事に携わる人たちのおかげで、
介護に溺れることなく介護の現場を眺めることができているゆずの
思いなどを、ここに放り込んでいきたいと思っています。


あ、余談ですが、ゆずの好きな歌手のさだまさしさんが
この番組にゲスト出演したことがありまして、
その時にさだまさしさんが選んだお題が
「 干瓢(かんぴょう)」 「北方領土」 「ト音記号」 の3つ。
このとき、「お前もこのお題で一曲作れ!」 と無茶振りされたさだまさしさん、
ほんとうに作っちゃったんですよね。
こうして出来上がった作品が、『オホーツクはるかなり』 という歌。
アルバムには収録されていませんが、
この曲がこんな経緯でできあがった歌だということを知っていると、
もしかして耳にすることがあった時には
ちょっとオマケの楽しみ方ができるかもです。

(1)からどうぞ


あの日・・・、2015年12月23日。

この日がゆずの生活を一変させる『大事件』の起きた日でした。
この時のことは、ちょうど1年ほど前、別のサイトに書いたことがあるので、
それを抜粋して転記することにします。
かなり長いですが、よかったらお読みください。

尚、冒頭の『左眼の手術』については、また機会があったら書くかもしれません。



(前略)・・・秋に手術を受けた左眼は無事に視力も戻り、2ヶ月ほど前からは夜の運転もできるようになりました。 PC画面を見続けてもあまり目の疲れを感じなくなり、手術前の『日常』に戻りつつあったのですが、あの日・・・、そう、12月23日、それまでこれが当たり前だと思っていた穏やかな生活を一変させる出来事が起こりました。
 
その日、昼までの仕事を終えてふらりと実家に立ち寄り、「昼ごはんまだなら食べていきな。」という言葉に甘えて両親と一緒に昼食。 午後2時頃に実家を出て家に戻り、そのあと夫と買い物に出ていた私の携帯に、実家近くに住む弟の奥さんから電話が入りました。 「お義母さんが救急車で運ばれました。 すぐに病院に行ってください。」 脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血でした。
 
病院に着くと、すでに母の意識はなく、ストレッチャーの上で手足を痙攣しているかのように震わせている母の姿があるのみ。 医師からは、「かなり重篤な状態です。 万全を尽くしますが、覚悟はしておいてください。」の言葉。 でも、テレビドラマで聞いたことのあるそのまんまの台詞をリアルに聞かされ、目の前に横たわる母を見ながらも、どこかわが身に降りかかった現実として実感できない自分がいました。
 
手術は深夜3時近くまで、10時間に亘りました。 その間は何も手につかずただただ祈るのみ・・・、と言いたいところですが、(一応)シッカリ者の長女の性(さが)でしょうか、駆けつけてきた親戚たちからは隠れるようにして、弟と葬儀の相談をしている私でした。
 
母は手術中に呼吸停止を起こしたりもしていたそうですが、それでも10時間の手術に耐えてくれました。 こっそりと葬儀の相談などしていた親不孝娘に、ザマアミロと舌を出していたかもしれません。 術後は救命救急病棟に移され、たくさんのチューブとモニターをつけられて、昼も夜も煌々と灯りがともりアラーム音が鳴り響くICUで24時間の監視の下、辛うじて命をつないでいました。
 
翌日、緊急連絡先として登録した私の携帯に、病院から電話がかかってきました。 すぐに病院に来てほしいと。 弟とともに駆けつけると、主治医から聞かされたのは、「新たな動脈瘤の破裂が確認されました。」
「心機能も腎機能も低下しているいま、2日連続で全身麻酔での開頭手術をすること自体にかなりのリスクがあります。 手術をしたところで血腫が取り除けるとは限りません。 昨日の手術よりもかなり厳しい状態です。 それにまた新たな動脈瘤が破裂する可能性もあります。 判断はご家族に任せしますし、もし再手術をということであればもちろん最善は尽くしますが、医師としてはこのまま手術をせずにおいてあげるのも一つの選択肢かと思います。」
 
母の生命に終止符を打つかどうかが自分の手に委ねられる。 それも数分のうちに結論を出さなくてはならない。 これはかなりの重圧です。 重圧であるはずです。 でも弟と私の意見は一致しており、思い悩むことなくすぐに結論に至りました。 「母の生命力に賭けてみたいと思います。 あと一度だけ、手術をお願いします。 もし手術中に何かあっても、それは運命だと受け入れますし、この先新たな出血が起きたとしたら、そのときはもう手術はせずに静かに逝かせてやりたいと思います。」
同意書にサインをするとすぐに始まった2度目の手術。 終わったのは6時間後の午後10時過ぎでした。
 
その日から、まさに目の回るような忙しさの日々が始まりました。 夫婦二人で生活していた両親、父は母にすべてを任せっきりだったようで、まずは物の在り処がわかりません。 保険証や通帳など個人のものはもちろんのこと、会社の登記の書類や保険証書など、重要なものが納めてある貸金庫のカギも見つかりません。 カギさえあれば代理人登録をしてある私が金庫を開けることは可能なのですが。 それ以外にも自治会のお付き合いやお寺とのお付き合い、母の友人たちとのお付き合いと、わからないことばかりです。
 
父は父で、一日三回出されたものを食べ、予約の日に病院に出かけるのが仕事のような生活でしたので、父の食事の世話もしなければなりません。 母のことが心配でたまらない父を朝晩病院に面会に連れて行き、自分の家の家事雑事に、もともとの昼の仕事、夜の副業もあって、1日があっという間に過ぎていきます。 車であちこち走り回るので、満タンにしたガソリンが5日でカラになります。 1日が40時間ほしい、カラダが3つほしい、心からそう思いました。
 
最低限その日にやらなければならないことをこなすと、倒れ込むかのように眠る。 そんな生活ももう1か月以上になります。 でも忙しいなりにペースがつかめてきて、こうして近況を記す時間をとることができるようになりました。 (これだけ書くのに4日もかかりましたけどね。)
先はまだ見えません。 現状、主治医からは、「これ以上の意識の回復は難しいだろうし、左半身マヒで寝たきりの生活になるのも避けられないだろう。」と言われています。 でも、たとえどんな形でも母が生きていてくれることに感謝しつつ、記憶のカケラの世界で生き、いろいろとおもしろいことを言ってくれる母の言葉に思わず吹き出したりしながら、日々を過ごしています。 自分でも信じられないのですが、この状況にありながら、ヘコンでないんですよね。 アタシってこんなにノーテンキだったっけ??
 
ありがたいことに病状の『緊急性』が下がり、特別な医療措置が不要になりつつある母は、明日抜糸、そして来週月曜日には転院することになっています。 転院先の病院は・・・(後略)



現在ババは要介護5で、上で書いた転院先のリハビリ専門病院での3カ月間のリハビリプログラムを終えたあと、施設で暮らしています。 ジジは要介護1ですが、なんとか一人暮らしができています。 今はダンナさまや叔母(ジジ・ババの義妹)の全面協力を得て、ジジ・ババに振り回されながらも、ジジ・ババとの時間を楽しんでいるゆずですが、ときどきこの二人から飛び出してくるエピソードの笑えること、笑えること。 これを自分ひとりで楽しむのは少々もったいない・・・。

というわけで、懲りずに駄文を読みに来てくださる皆さまに、おすそ分けすることにしました。 あまり頻繁に更新はできないと思いますが、また覘いてみてくださいね。
 
さて、復活ブログは、まずはババのことから始めましょう。

いままでにもこのブログに何度か登場しているババは、
対外的なお付き合いでは『余計なことは言わない上品で物静かな人』と
思われていたようですが、実はパワフルを絵に描いたような人。

会社経営現役時代は、一歩下がって控えめな社長の妻と見せかけて、
実はジジを掌で転がして会社を大きくし、
引退後はジジだけでなく自分の兄や姉、友人たちのために
走り回っていました。


また、半世紀以上も生きているゆずをつかまえては、
出来の悪い子ども扱い。
あれをやれ、これをしろ、手際が悪い、気が利かない・・・と、
ダメ出しのオンパレード。
出来が悪いことは重々承知していますが、ただ、
問答無用で襲いかかってくるババの価値観は、
『昭和』のままほとんど更新されていませんでしたからね。
ゆず自身、こんなババの毒気(?)に当てられてか、
精神科医のカウンセリングを受けていたこともあるくらいです。

ババは、「ホコリじゃ死なない!」と開きなおるゆずとは正反対で、
花と掃除が大好き。
家の中はいつもピッカピカです。
そんなババがゆず家を訪れると、決まって「ここはゴミ溜めか!」と
得意の毒吐きから始まります。

まぁ親なんていうものは、子どもに対して毒が吐けなくなったら
老け込むだけでしょうし、
ゆず自身も、『毒もゲンキの証拠』と、軽~くかわす術を
身につけていましたから、
それで親子関係が険悪になることはありませんでしたけどね。


こんなふうにゆずには厳しいババですが、
誰かがちょっと困った素振りでも見せると、
ピンクの愛車でビュイーーーンと駆けつけます。
そして友人たちはもちろんのこと、
兄であろうが姉であろうが(ババは4人兄妹の末っ子です)叱り飛ばし、
それでいて問題はちゃんと解決してきます。
ただ、時に暴走気味になるのが玉にキズ。
見ているゆずのほうがハラハラドキドキさせられることもしばしばでした。


ババは・・・、東奔西走・馬耳東風。
深謀遠慮と猪突猛進が混在し、気になることは、即断即決即実行。
胆大心小・大胆不敵かと思いきや、時としてフライングでSOS。

そんなババをクモ膜下出血が襲ったのは、一昨年の暮れ、
12月23日のことでした。 (つづく)
 
ご無沙汰でございます。(って、これ見てる人ほとんどいないだろうな。。。)


ブログ中断してから2年と数ヶ月。
この間、ホントにいろんなことがありました。

泣ける出来事、笑える事件、怒れる話、悔やまれる話・・・。
でも、何と言ってもいちばんの大事件は、実家の母(ババ)の病気でしょうね。
あの瞬間、生活がガラリと変わりましたもの。(詳しいことは後で書きます。)


で・・。


生死の境を一旦は越えながらも辛うじて生還したババは、脳に大きなダメージを受けたため、今は施設で暮らしています。
その結果、高齢の父(ジジ)は一人暮らしを余儀なくされることに。

この二人との会話が、まぁ笑えるんです。
これは書き留めておくのもオモシロイかも・・・。


というわけで、いままで書いていたような話に加えて、
ジジやババとの会話や介護の現場を間近に見て思うことなど、
また書いてみようかなと思った次第です。


「ゲンキにブログ復活!」 とまではいかないけれど、まぁボチボチ・・・、ね。
 
その13からどうぞ。

本日2度目のUPです。(珍しい。 きっと雨が降る!!)


さて、聖地から戻って、早やひと月半。
の~~んびりと書いていたら、
北から雪の便りが届く時期になってしまいました。

最後に聖地での写真、何枚かUPします。
よろしかったらご覧ください。
ただし、きれいな景色やキレイなオネ~サンの写真などは
一枚もありません。
悪しからず~~~。
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