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母の日の週末、久しぶりにヤスカルが帰省しました。
昨年末にユネスコの無形文化遺産に登録された水都のお祭りと
ヤスカルが高校生の頃に所属していたギターオーケストラの
定期演奏会が重なったので、
定演のサポートも兼ねて、十数年ぶりのお祭り帰省です。


そして月曜日。
ゆずはヤスカルを新幹線の駅まで送るため、半日有休。
昼ごはんに寿司が食べたいというヤスカルと
回転寿司に行きます。

ただこのお店、回転寿司と侮ることなかれ。
ネタもよく、味もよく、そしてお値段もなかなかです。
この日の会計は二人で六千円弱。
ね、アルコール抜き、ランチタイムの回転寿司にしては
なかなかの値段でしょ。


さて、食べ終わって店員さんに声をかけ、会計をしてもらいます。
お皿をカウントし、会計伝票に記入。

するとヤスカル、

 : 「ここはボクが。」

と言って伝票を手に取ります。

ゆずはというと、

 : 「あら、それはどうも。
     ではお言葉に甘えさせていただきますわ。」


これ、よくあるやり取りなんです。
あ、でも、よくできたヤスカルなどと言うなかれ。

省略されている部分をちゃんと書くと、

 : 「ここはボクが、伝票をレジまで運びます
     支払いはヨロシク。
     ごちそうさま~~。

これがいつもの実態なのですから。


さて、この日も伝票を手にレジへと向かうヤスカル。

な、な、なんと!!

財布を取り出し、ホントに支払おうとしているではないですか。


え? 


ええっ?!!


某歌手の歌の歌詞ではないけれど、まさに

『おまえ大丈夫かと オデコに手を当てた~~♪』

な、ゆず。
いま目にしているものが信じられません。


ヤスカル曰く、

 : 「え? もしかして、またネタだと思った?
     今日はマジだよ。
     きのう母の日だったから、何か買って帰ろうかと思ったんだけど、
     ピンとくるものがなくてさ。
     だからここは御馳走させていただきます。」

だそうです。


いや~~ぁ、完全にヤラレました。
ホントにホントにビッグ・サプライズ。

でも、ヤスカルがちょっとオトナになったみたいで、
(ってヤスカルももう35歳。 疑いようのないオトナなんですけどね。)
喜びを味わっているゆずなのです。

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母の日の日曜日、ゆず宛ての荷物が届きました。
送り主はムスメ。
母の日のギフトだそうです。

箱から出てきたのは、光触媒加工をしたアレンジフラワー。
生花ではありませんが、
鮮やかなオレンジや黄色のバラやカラーのはいった
おしゃれなアレンジです。

: 「光触媒加工をしてあると、部屋の空気をキレイにしてくれるし、
     汚れたら水洗いができるんだって。
     ゆずタンが副業に使っている部屋、殺風景だから、
     そこに置くといいんじゃない?」

と、ムスメ。

 : 「サンキュ!
     でも母の日ギフトっていってるけど、
     カーネーションじゃないんだね。」

: 「だって、この時期に値段バカ高くて
     なのにせいぜい一週間しかもたない
     カーネーションの生花を買うなんて
     どう考えてもムダでしょ?」

なんだそうです。
(いや、それは違うだろと思いつつも、全否定できないアタシ・・・。)


さて、その日のゆずはというと、
かつてヤスカルが水都に住んでいたころに所属していた
ギターオーケストラの定期演奏会にダンナさまと行っていて、
家に戻ったのは夕方。
荷物は昼過ぎに届いたので、荷物を受け取ったのは留守番のムスメでした。

: 「自分の送った荷物を自分で受け取っちゃった。
     なんかビミョ~~~。
     予想外の荷物で驚かそうと思ったのに、サプライズ失敗やん。
     昼間留守にするならちゃんと言っといてよねっ!
     そしたら夜の配達を指定したのに。」

なんかよくわからない理由で叱られちゃいましたが、
いえいえ、サプライズは十分成功してますよ。



それにしてもムスメからの母の日ギフト。
かつてこんなことがありました。
http://yuzuriha128.blog68.fc2.com/blog-entry-490.html

カーネーションの一本も入っていないアレンジ。
あいかわらずの造花。
ムスメよ、きみの本質は昔も今も変わってないんだね。
 
クモ膜下出血で脳に大きなダメージを受けたババ。
自分の置かれている状況の、はたして何パーセントを
理解できているのかは定かではありませんが、
「人の世話にならないと何もできないから、自殺しようと思う。」という言葉が
ババの口から出てきたことは、ゆずにとって小さからぬ衝撃でした。

動かない左半身、歩けない足。
住み慣れた家にも帰れず、
食べたいときに食べたいものを食べることもできない生活。
ふつうの神経なら辛いのはわかりきっていますが、
ババの場合、辛いと感じる脳の部分にも障害を受けているようで、
ゆずにとってはそれが救いでもあったのですが、
マジメな顔で自殺しようと思うって言われるとねぇ。。。

「手伝ってやらないから、
飛び降りたいならちゃんとリハビリして、自力で屋上へ行け。」
と言って返すのが精一杯でした。
だって、2度目の手術の同意書にサインをしなかったら、
ババはそんな辛い思いをしなくても彼岸へと旅立てたわけですから。


ババが日々何を思い、何を感じているのかは、正直なところわかりません。
担当看護師さんによると、
ババは認知症の人にはできないはずのことを
難なくやってのけたりするので(※1)
ババの場合は認知症というよりは脳のダメージによる認知機能障害と
考えるべきなのだそうです。
なので当然、対応の仕方も認知症患者とは異なるのだとか。

たとえば加齢による認知症患者に対しては
行動や言動を否定しないのが原則なのですが、
ババに対しては、してはいけないことはいけないと
ちゃんと言葉で指摘しているそうです(※2)。
ただババの場合、指摘されたその時には理解するのだけれど、
その記憶が長く留まらないのが脳機能障害たる所以なのですが。


その後のババはというと、
あいかわらずいろいろと面白いことを言ってくれますが、
マジメな顔で自殺を口にすることはなくなりました。
いまババの頭の中では
いろいろとババなりの心配ごとのタネが尽きないみたいで、
日々解決策を模索しているようです。

たとえば、ババの脳内では
ゆずのムスメ(ババの孫)は離婚したことになっていて
(現実には離婚どころか結婚もしていないのですが)、
「生活態度を改めるように言っておけ、
 そうしないとまた嫁ぎ先から返されてくるから。」とか、
会社を再建しなければいけないから
(ババの中では息子に引き継いだ会社は倒産したことになっているようです)
社員を全員集めて太鼓を打ち鳴らして
まずは景気付けをしろとか。

太鼓? へ?? 

でも太鼓叩いて景気付けっていうのはとってもババらしい気がします。
こんな状態になっても、人間の本質って変わらないんでしょうかね。

そうそう、ゆずはこのあいだババに叱られましたよ。
「年金詐欺には気をつけなさいって言ったでしょ。
 そんなものにひっかかるなんて、気が緩んでる証拠です!」
と、真面目な顔で。
まだ年金受給年齢じゃないっていうのにね。


デキの悪い孫は三下り半を突き付けられ、
バカな娘は年金詐欺にひっかかり、
社長の器じゃない息子に渡した会社は倒産する。
元気なころのババが実際にこんな状況に放り込まれたら、
やっぱりすべてを再建するために忙しく走り回るんだろうなと思うと、
ちょっと笑えてしまいますが、
ババのこの妄想も、もしかすると
ババに目的意識を持たせるという意味ではいいことなのかもしれませんね。

さぁて、これからもババの妄想に付き合って、
年金詐欺にひっかかるバカな娘を演じてみることにしましょうか。
瓢箪から駒が出たりしないように気をつけて・・・。


(※1)
長谷川式スケールにある『知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください』という質問に、認知症の人は数個しか挙げられないのが一般的ですが、ババは10でも20でも挙げられます。
(※2)
ババは靴や靴下、時には来ている洋服を脱ごうとします。また麻痺のある側の肩の脱臼防止のために使っているアームホルダーも外そうとします。そんなときは『ケガをするから靴を脱いではいけません。』 『寒いから服は脱ぎません。』と復唱させて脱いだものを戻しています。

なにやら危ないタイトルですが、実行するかどうかは別として、
誰しも死んでしまいたいと思ったことの一度や二度、あることと思います。 
テストの点数が悪かったから。 受験に失敗したから。
カレシにふられたから。 
会社をクビになったから。 借金が膨らんでどうしようもなくなったから。
生きていても何もいいことなんかないから。 
理由は人それぞれ、そしてさまざまでしょうが、
今日はババの自殺願望について書くことにしましょう。
(※この記事は昨年夏に別のサイトで書いたものの転載です。)


ババは一昨年末にクモ膜下出血で倒れました。
何年か前だったら間違いなく消えていたであろうババの命の灯は
医学の進歩によって灯り続けることができ、
左半身麻痺と高次脳機能障害(※)は残ったものの、
今ではなんとか車椅子に座れるようになっています。 

とはいっても脳に大きなダメージを受けていますので、
認知機能には大いに問題あり。
今は、この世界とババのオリジナルのどこか別の世界とを
行ったり来たりしながら、施設で暮らしています。
 

そんなババが先日、マジメな顔でこんなことを言いました。

 :  「私ね、こんな身体だし、
     人の世話にならないと何にもできないし、
     だからもう自殺しようと思うの。」

『普通』の人がこんなことを言ったら、周りはきっと驚き慌てるのでしょうね。
でもこれを口にしたのは、半分別の世界で生きているババ。 
この半年余りでババとの会話のコツもずいぶんつかめてきましたからね、
ちょっとやそっとで慌てたりしません。


会話はこんなふうに続きました。

  : 「そうか、自殺するんだ。」

  : 「うん、するよ。」

  : 「どうやって自殺する?」

  : 「ここの上(屋上)から飛び降りる。」

  : 「そう。飛び降りるのね。 
     でも、私もここの人たちも、ババが死んじゃうと寂しいから、
     自殺のお手伝いはしてあげないよ。」

  : 「大丈夫。自分で飛び降りるから。」

  : 「自分で? じゃあ、屋上に行けるようにならないといけないよね。」

  : 「うん。」

  : 「だとすると、まずはほら、その車椅子から立ち上がって、
     歩けるようにならないとね。」

  : 「わかってる。」

  : 「この間リハビリの先生がね、
     ババはリハビリあんまりがんばってないって言ってたよ。
     がんばってリハビリしないと自分で屋上に行けないし、
     自殺できないんじゃない?」

  : 「・・・。」

  : 「どうする?」

  : 「わかった。 がんばってリハビリして屋上に行けるようにする!」

その後、ババの自殺願望がどうなったのかはわかりませんが、
ババがちゃんと(?)自殺するためには、
かなり高いハードルを越えなければならないことは間違いありません。


(※)高次脳機能障害
 病気や怪我などで 脳に損傷を受け、 言語・思考・記憶・行為・ 学習・注意に障害が起こってしまった状態。ババの場合は左半側空間無視と記憶障害、注意力・集中力の欠如が大きな症状として出ています。

1年前の電力自由化に続き、
今月からガスの小売り自由化も始まりましたね。
身の回りのものが軒並み値上げの昨今、
光熱費を少しでも安く抑えるのは、家計を預かる主婦にとっては重要課題。
どの業者にするかを考えている人も多いことと思います。

で、ゆず家はというと、今回のガスの自由化にはまったくの無関心。
オール電化にしているわけではありませんよ。
毎日のようにガスを使っています。
ただ残念ながら、都市ガスではなくプロパンガスなんですよね。
だから今回の自由化もまったくの他人事なのです。


なぜプロパンにしてるのかって?

 
だってプロパンは料金は割高だけど、災害時に強いっていうじゃないですか。
いざっていうときのことを考えると、やっぱりプロパンのほうが・・・


・・・っていうのはウソ。


そもそもゆず家一帯には、都市ガスの供給設備そのものがありません。
なので選択の余地ナシ。
プロパンにせざるを得ないのが現状なのです。


ゆず家に届く固定資産税の通知では、ゆず家は市街化区域内になっていて、
都市計画税もシッカリ加算されています。
なのにゆずがここに引っ越してきて以来32年、
都市ガス供給に関してはまったくの『蚊帳の外』。
下水道だって敷設されてまだ10年にもなりません。


いったいどこが市街化なんだーーっ!!(怒)



この話を友人Aと友人Bにしたところ、
揃いも揃って、こんな反応をしてくれました。

 : 「あはは。 それ市街化じゃなくて、市化区域なんじゃない?」

 : 「ちゃうちゃう。 この子のことだから、市化!」

と、言いたい放題。


まったく、もーーーっ!!

放っといてくれ!!

ムスメが事故に遭いました。
朝、職場へ向かう渋滞中の国道で追突され、
見事に頸椎捻挫。
俗に言う『むち打ち症』です。

首を動かすと痛みがあるらしく、
常時頭の上に本でも乗せているかのような姿勢をキープ。
あまりの姿勢の良さに、思わず笑いそうになってしまいます。



ぶつけられたアマガエル色の車はというと、
後部がつぶれて只今入院中。
渋滞中でスピードは出ていなかったはずなのに、こんなにつぶれるなんて
ノーブレーキどころか、ブレーキとアクセル踏み間違えたんじゃない? 
と言いたくなってしまいます。


車の修理には、1ヶ月以上かかるそうです。

 : 「え~~~、1ヶ月ぅぅ!?」

一週間くらいで戻ってくるかなぁと思っていたムスメにとって
想定外の修理期間のようですが、
これにはダンナさまが納得の説明をしてくれました。

その車、12年選手だろ?
さすがに部品の在庫なんてないだろうから、
特注で部品作るところから始めるんだろうな。
だから1ヶ月くらいかかるんだよ。

な~るほど。 納得!!


ただ・・

修理に持ち込んだディーラーの担当さんは
きっとココロの中で叫んでたでしょうね。

「修理するなんて言うなーーっ!
 もういい加減、買い替えろよっ!!」

ってね。



ところでこの事故の加害者さんですが、
アクセルとブレーキの踏み間違いを疑うような状況ですから
高齢のドライバーかと思いきや、
なんと19歳、社会人1年生のお兄ちゃん。
初めての事故でテンパっちゃってるらしく、


 : 「あの・・、ボクどうすればいいんでしょう?」


結局、ムスメが警察への連絡や相手の保険会社への
連絡もしたようです。
(ん? なんか・・どっかで聞いたような話だ。)
なにしろムスメ、今回で3度目の被害者事故経験者。

初回は原付で信号待ち中。
後ろから来た若いオネーさんの運転する車が
(のちにこのオネーさん、ヤスカルの同級生だと判明!)
わき見だか前方不注意だかで赤信号停止中の前の車に追突しそうになり、
慌てて急ブレーキをかけ、ハンドルを左に切っちゃったもんだから、
そこで信号待ちしていたムスメに衝突。
転倒して負傷です。

二度目は今回と同じ国道で、やはり同じ朝の通勤途上。
相手は夜勤明けのオバサン。
ミラーに映る後続車の不安定な動きに不安を感じ、
車線を変えようと思った矢先の追突事故。
運転していたオバサンは、居眠り運転で追突してきたにもかかわらず、
車を降りるや否や、アンタが急に車線変更して
私の前に割り込んできたせいだと言い張ったそうですが、
目撃者多数ですからね、
全面的に相手の過失で決着しました。
この時は車がヘコんだだけで、ケガはなし。

そして今回が3回目。
まぁ、ある意味、慣れますね。



さて、その日の夜のことです。
加害者のお兄さんが、謝罪にとゆず家にやってきました。

ムスメの職場は地域に根ざす金融機関ですからね、
地元での事故にはかなり慎重かつ厳しい対応をしてきます。
今回の事故は相手の過失100%の事故ですから
ムスメが咎められることはありませんが、
それでも何枚もの書類を提出しなければなりません。

その書類の一枚に加害者情報の欄があり、
住所・氏名・電話番号・勤務先等を書くのですが、
その書類を書いていたお兄さんの手が途中で止まりました。
止まったのは自宅電話番号の欄。
携帯番号はスラスラと書いたお兄さんですが、なんと・・


なんと・・・


 : 「あの・・ 自宅の電話番号わからないんですけど。」

 : 「え? 固定電話ひいてないの?」

 : 「いえ、あります。
     でも番号知らないんです。」

 : 「へ??」

 : 「あの・・ 電話で聞けばわかるんですけど、
     家に電話かけてもいいですか?」

 : 「は??」


家の番号わからないのに家に電話?
と思ったら、お母さんの携帯に電話をかけ始めました。
あ、そういうことね。

 : 「あのさぁ、家の電話番号教えてほしいんだけど。」

 : 「なんでよ?」

 : 「事故の相手が知りたいって。」

 : 「なんでそんなもの教えなあかんのよ。
     あんたのケータイでいいやろ、ケータイで!」

 : 「相手の会社に出す書類に書かなきゃいけないんだって。
     だから教えて。」

 : 「まったく、なんでやの!
     面倒くさいなぁ。
     そもそもあんたが事故なんか起こすから・・・(罵詈雑言・続く)」


こんなやりとりのあと、
無事に書類に固定電話番号を記入してもらったムスメですが、
イマドキのケータイ世代の若者たちって、
自宅の電話番号なんて知らないのがフツウなんでしょうかねぇ。
昔は、少なくともムスメやヤスカルが子どもの頃には、
片言が喋れるようになると、
自分の名前と親の名前・住所・電話番号を答えられるように
教え込んだものですけどね。


 : 「お名前は?」

 : 「教えてあげない。」

 : 「お年は?」

 : 「言わない。」

 : 「おうちはどこ?」

 : 「ナイショ。コジンジョーホーだから。」

 : 「おうちの電話番号いえる?」

 : 「そんなの知らない。」


これからの時代、縁日やショッピングモールの迷子センターで、
こんな会話がされるようになるのかもしれませんね。




余談ですが、
上の事故加害者のお兄さんとそのお母さんの会話の内容、
どうしてムスメが知っているかというと、
お兄さんはケータイで普通に(スピーカー通話ではなく)話していたのですが、
お母さんのイライラ度があまりにも高くて、つい大声でまくしたてたのか、
それともケータイの音漏れ防止機能が劣っていたのか、
ぜ~~んぶ聞こえていたのだそうです。
アタシも気をつけよ。
 
ダンナさま、61歳。
定年まで勤務した会社を、再雇用半年で退職。
その後しばらくは失業保険を受給しながら
主夫生活を謳歌(?)していましたが、
先月新しい会社に就職が決まり、
「疲れる」を連発しながら、約10年ぶりの電車通勤をしています。
そのダンナさまが求職中の話です。


経験のある方はご存知でしょうが、
失業保険を受給するには、4週間に一度の認定日までに
2回の就職活動実績を作らなくてはなりません。
認定日に、
 『働く意思はあって就職のために活動をしているけれど、
  意に反して仕事が見つからない状態』
であるという認定を受けて初めて、失業保険が支払われるわけです。

とはいってもいまの世の中、
60歳を過ぎた人の求人など数えるほどしかありません。
あっても低い時給で専門性など不要な求人ばかり。
こんな状況ですから、就職活動実績を作ろうにも
応募したい企業がないのが実情です。

そこでどうするかというと、
手っ取り早くハローワークが主催するセミナーに参加して、
活動実績を作ることになります。
ダンナさまもいくつかのセミナーに参加していましたが、
はっきりいって単なる実績数稼ぎ。
『履歴書の書き方』や『面接の作法』のセミナーなんて
新卒じゃあるまいし・・・ね。

でも、ひとつだけちょっとの興味を持って参加したセミナーがありました。
それは介護に関するセミナー。
ババがあんな状態ですからね、
なにか役に立つ情報があるかもしれないから
参加してみることにしたと言っていました。


介護の現場はどこも人手不足です。
このセミナーも、早い話が介護職なら今すぐに誰でも就職できるという内容。
ダンナさまが初めてハローワークの就職相談に行った時も、
 「60歳過ぎてますからね、ご希望の条件の就職は、なかなか厳しいですよ。
  介護職はどうですか?
  介護職なら今すぐにでもご紹介できますよ。」
と言われたそうですから、
深刻な人手不足の様子がひしひしと伝わってきます。


でも・・・。
ほんとうにこんなことでいいのでしょうか。


ババのお世話になっている施設の職員さんを見て思うのは、
介護の仕事のたいへんさ。
生半可な気持ちで介護職についても、長続きしないのは目に見えています。
実際、すぐにやめてしまう人が多いのでしょうね。
介護施設はどこも常時求人が出ているし、
ババのいる施設でも、若い介護スタッフの顔ぶれは
かなり頻繁に変わっています。

それなのに、
『仕事ないの? 仕事したいの?
 じゃあ、とりあえず介護。 まずは介護。 
 介護はいかが? お買い得だよ!』
とでもいうかのような、あまりにも安易な介護職への斡旋。
これはないよなぁと思ってしまいます。


かつて高度経済成長の頃、教師が不足して誰でも教師になれた時代に
『でもしか先生』という言葉がありました。
他にやりたい仕事がないから、『先生でもやろう』。
特別な技能が何もないから、『先生しかなれない』。
そんなネガティブな理由で教職に就いた先生を指して言った言葉です。

でもしか先生も困ったものですが、
『でもしか介護職』なんていうのはほんとうにナシにしてもらいたいものです。
いままで日本を支えてきた人たちの、生命と尊厳がかかっているのですから。

もう30年近くも前のことですが、
『らくごの ご』 というテレビ番組がありました。

笑福亭鶴瓶さんと桂ざこばさんの二人が
即興で落語を披露する番組なのですが、
噺の中には、その日の観客が挙げたいくつかのお題の中から
ゲストが選んだ3つのお題を入れなければなりません。
大好きだったんですよね、この番組。
落語家さんの噺の見事さに圧倒されるのはもちろんのこと、
ときにオチがつけられないと半泣きになるさこばさんを見るのも
おもしろくて。(Sっ気あり!)

その番組名の 『らくごの ご』 になぞらえて、
『かいごの ご』 というカテゴリを作ってみました。
ジジ・ババとの笑える話や、
公的介護保険制度と介護の仕事に携わる人たちのおかげで、
介護に溺れることなく介護の現場を眺めることができているゆずの
思いなどを、ここに放り込んでいきたいと思っています。


あ、余談ですが、ゆずの好きな歌手のさだまさしさんが
この番組にゲスト出演したことがありまして、
その時にさだまさしさんが選んだお題が
「 干瓢(かんぴょう)」 「北方領土」 「ト音記号」 の3つ。
このとき、「お前もこのお題で一曲作れ!」 と無茶振りされたさだまさしさん、
ほんとうに作っちゃったんですよね。
こうして出来上がった作品が、『オホーツクはるかなり』 という歌。
アルバムには収録されていませんが、
この曲がこんな経緯でできあがった歌だということを知っていると、
もしかして耳にすることがあった時には
ちょっとオマケの楽しみ方ができるかもです。

(1)からどうぞ


あの日・・・、2015年12月23日。

この日がゆずの生活を一変させる『大事件』の起きた日でした。
この時のことは、ちょうど1年ほど前、別のサイトに書いたことがあるので、
それを抜粋して転記することにします。
かなり長いですが、よかったらお読みください。

尚、冒頭の『左眼の手術』については、また機会があったら書くかもしれません。



(前略)・・・秋に手術を受けた左眼は無事に視力も戻り、2ヶ月ほど前からは夜の運転もできるようになりました。 PC画面を見続けてもあまり目の疲れを感じなくなり、手術前の『日常』に戻りつつあったのですが、あの日・・・、そう、12月23日、それまでこれが当たり前だと思っていた穏やかな生活を一変させる出来事が起こりました。
 
その日、昼までの仕事を終えてふらりと実家に立ち寄り、「昼ごはんまだなら食べていきな。」という言葉に甘えて両親と一緒に昼食。 午後2時頃に実家を出て家に戻り、そのあと夫と買い物に出ていた私の携帯に、実家近くに住む弟の奥さんから電話が入りました。 「お義母さんが救急車で運ばれました。 すぐに病院に行ってください。」 脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血でした。
 
病院に着くと、すでに母の意識はなく、ストレッチャーの上で手足を痙攣しているかのように震わせている母の姿があるのみ。 医師からは、「かなり重篤な状態です。 万全を尽くしますが、覚悟はしておいてください。」の言葉。 でも、テレビドラマで聞いたことのあるそのまんまの台詞をリアルに聞かされ、目の前に横たわる母を見ながらも、どこかわが身に降りかかった現実として実感できない自分がいました。
 
手術は深夜3時近くまで、10時間に亘りました。 その間は何も手につかずただただ祈るのみ・・・、と言いたいところですが、(一応)シッカリ者の長女の性(さが)でしょうか、駆けつけてきた親戚たちからは隠れるようにして、弟と葬儀の相談をしている私でした。
 
母は手術中に呼吸停止を起こしたりもしていたそうですが、それでも10時間の手術に耐えてくれました。 こっそりと葬儀の相談などしていた親不孝娘に、ザマアミロと舌を出していたかもしれません。 術後は救命救急病棟に移され、たくさんのチューブとモニターをつけられて、昼も夜も煌々と灯りがともりアラーム音が鳴り響くICUで24時間の監視の下、辛うじて命をつないでいました。
 
翌日、緊急連絡先として登録した私の携帯に、病院から電話がかかってきました。 すぐに病院に来てほしいと。 弟とともに駆けつけると、主治医から聞かされたのは、「新たな動脈瘤の破裂が確認されました。」
「心機能も腎機能も低下しているいま、2日連続で全身麻酔での開頭手術をすること自体にかなりのリスクがあります。 手術をしたところで血腫が取り除けるとは限りません。 昨日の手術よりもかなり厳しい状態です。 それにまた新たな動脈瘤が破裂する可能性もあります。 判断はご家族に任せしますし、もし再手術をということであればもちろん最善は尽くしますが、医師としてはこのまま手術をせずにおいてあげるのも一つの選択肢かと思います。」
 
母の生命に終止符を打つかどうかが自分の手に委ねられる。 それも数分のうちに結論を出さなくてはならない。 これはかなりの重圧です。 重圧であるはずです。 でも弟と私の意見は一致しており、思い悩むことなくすぐに結論に至りました。 「母の生命力に賭けてみたいと思います。 あと一度だけ、手術をお願いします。 もし手術中に何かあっても、それは運命だと受け入れますし、この先新たな出血が起きたとしたら、そのときはもう手術はせずに静かに逝かせてやりたいと思います。」
同意書にサインをするとすぐに始まった2度目の手術。 終わったのは6時間後の午後10時過ぎでした。
 
その日から、まさに目の回るような忙しさの日々が始まりました。 夫婦二人で生活していた両親、父は母にすべてを任せっきりだったようで、まずは物の在り処がわかりません。 保険証や通帳など個人のものはもちろんのこと、会社の登記の書類や保険証書など、重要なものが納めてある貸金庫のカギも見つかりません。 カギさえあれば代理人登録をしてある私が金庫を開けることは可能なのですが。 それ以外にも自治会のお付き合いやお寺とのお付き合い、母の友人たちとのお付き合いと、わからないことばかりです。
 
父は父で、一日三回出されたものを食べ、予約の日に病院に出かけるのが仕事のような生活でしたので、父の食事の世話もしなければなりません。 母のことが心配でたまらない父を朝晩病院に面会に連れて行き、自分の家の家事雑事に、もともとの昼の仕事、夜の副業もあって、1日があっという間に過ぎていきます。 車であちこち走り回るので、満タンにしたガソリンが5日でカラになります。 1日が40時間ほしい、カラダが3つほしい、心からそう思いました。
 
最低限その日にやらなければならないことをこなすと、倒れ込むかのように眠る。 そんな生活ももう1か月以上になります。 でも忙しいなりにペースがつかめてきて、こうして近況を記す時間をとることができるようになりました。 (これだけ書くのに4日もかかりましたけどね。)
先はまだ見えません。 現状、主治医からは、「これ以上の意識の回復は難しいだろうし、左半身マヒで寝たきりの生活になるのも避けられないだろう。」と言われています。 でも、たとえどんな形でも母が生きていてくれることに感謝しつつ、記憶のカケラの世界で生き、いろいろとおもしろいことを言ってくれる母の言葉に思わず吹き出したりしながら、日々を過ごしています。 自分でも信じられないのですが、この状況にありながら、ヘコンでないんですよね。 アタシってこんなにノーテンキだったっけ??
 
ありがたいことに病状の『緊急性』が下がり、特別な医療措置が不要になりつつある母は、明日抜糸、そして来週月曜日には転院することになっています。 転院先の病院は・・・(後略)



現在ババは要介護5で、上で書いた転院先のリハビリ専門病院での3カ月間のリハビリプログラムを終えたあと、施設で暮らしています。 ジジは要介護1ですが、なんとか一人暮らしができています。 今はダンナさまや叔母(ジジ・ババの義妹)の全面協力を得て、ジジ・ババに振り回されながらも、ジジ・ババとの時間を楽しんでいるゆずですが、ときどきこの二人から飛び出してくるエピソードの笑えること、笑えること。 これを自分ひとりで楽しむのは少々もったいない・・・。

というわけで、懲りずに駄文を読みに来てくださる皆さまに、おすそ分けすることにしました。 あまり頻繁に更新はできないと思いますが、また覘いてみてくださいね。
 
さて、復活ブログは、まずはババのことから始めましょう。

いままでにもこのブログに何度か登場しているババは、
対外的なお付き合いでは『余計なことは言わない上品で物静かな人』と
思われていたようですが、実はパワフルを絵に描いたような人。

会社経営現役時代は、一歩下がって控えめな社長の妻と見せかけて、
実はジジを掌で転がして会社を大きくし、
引退後はジジだけでなく自分の兄や姉、友人たちのために
走り回っていました。


また、半世紀以上も生きているゆずをつかまえては、
出来の悪い子ども扱い。
あれをやれ、これをしろ、手際が悪い、気が利かない・・・と、
ダメ出しのオンパレード。
出来が悪いことは重々承知していますが、ただ、
問答無用で襲いかかってくるババの価値観は、
『昭和』のままほとんど更新されていませんでしたからね。
ゆず自身、こんなババの毒気(?)に当てられてか、
精神科医のカウンセリングを受けていたこともあるくらいです。

ババは、「ホコリじゃ死なない!」と開きなおるゆずとは正反対で、
花と掃除が大好き。
家の中はいつもピッカピカです。
そんなババがゆず家を訪れると、決まって「ここはゴミ溜めか!」と
得意の毒吐きから始まります。

まぁ親なんていうものは、子どもに対して毒が吐けなくなったら
老け込むだけでしょうし、
ゆず自身も、『毒もゲンキの証拠』と、軽~くかわす術を
身につけていましたから、
それで親子関係が険悪になることはありませんでしたけどね。


こんなふうにゆずには厳しいババですが、
誰かがちょっと困った素振りでも見せると、
ピンクの愛車でビュイーーーンと駆けつけます。
そして友人たちはもちろんのこと、
兄であろうが姉であろうが(ババは4人兄妹の末っ子です)叱り飛ばし、
それでいて問題はちゃんと解決してきます。
ただ、時に暴走気味になるのが玉にキズ。
見ているゆずのほうがハラハラドキドキさせられることもしばしばでした。


ババは・・・、東奔西走・馬耳東風。
深謀遠慮と猪突猛進が混在し、気になることは、即断即決即実行。
胆大心小・大胆不敵かと思いきや、時としてフライングでSOS。

そんなババをクモ膜下出血が襲ったのは、一昨年の暮れ、
12月23日のことでした。 (つづく)
 
ご無沙汰でございます。(って、これ見てる人ほとんどいないだろうな。。。)


ブログ中断してから2年と数ヶ月。
この間、ホントにいろんなことがありました。

泣ける出来事、笑える事件、怒れる話、悔やまれる話・・・。
でも、何と言ってもいちばんの大事件は、実家の母(ババ)の病気でしょうね。
あの瞬間、生活がガラリと変わりましたもの。(詳しいことは後で書きます。)


で・・。


生死の境を一旦は越えながらも辛うじて生還したババは、脳に大きなダメージを受けたため、今は施設で暮らしています。
その結果、高齢の父(ジジ)は一人暮らしを余儀なくされることに。

この二人との会話が、まぁ笑えるんです。
これは書き留めておくのもオモシロイかも・・・。


というわけで、いままで書いていたような話に加えて、
ジジやババとの会話や介護の現場を間近に見て思うことなど、
また書いてみようかなと思った次第です。


「ゲンキにブログ復活!」 とまではいかないけれど、まぁボチボチ・・・、ね。
 
その13からどうぞ。

本日2度目のUPです。(珍しい。 きっと雨が降る!!)


さて、聖地から戻って、早やひと月半。
の~~んびりと書いていたら、
北から雪の便りが届く時期になってしまいました。

最後に聖地での写真、何枚かUPします。
よろしかったらご覧ください。
ただし、きれいな景色やキレイなオネ~サンの写真などは
一枚もありません。
悪しからず~~~。
その12からどうぞ。

作家先生の職権濫用によるラジオ見学を断念したゆずは、
イチゴさん妻の『お嬢サマ』に送っていただいて、Y形駅へ。
ロッカーから荷物を取り出して、新幹線に乗り込みます。

ほっ。
雨、降らなかったよ。(^-^)
その11からどうぞ。

翌日。
天気は晴れ。

この日は何の予定も決まっていません。
さて、どうするかなぁ。。。
その10からどうぞ。

皇大神社の黒獅子を見たあとは、
芋煮会の会場のあるT畠に移動します。

T畠はぶどうの産地。
見学のできるワイナリーもいくつかあるようですが、
その中でも多くの観光客が訪れるTはたワイナリーが目的地です。

このワイナリーを訪れるのは5年ぶり。
スイートピーの種まきで、初めて聖地を訪れたとき以来です。
あれからもう5年もたっちゃったのね。
その9からどうぞ。

恐るべし、雨オンナ相乗効果!!
朝は青空だったのに、ゆずとウサギさんが合流したとたんに、雨。

どうしよう、ホテルに傘置いてきちゃったよ。。。
だって、朝のあの青空。
まさか降るとは思わなかったんだもん。
(身のほど知らずと言わないで~~~!)
その8からどうぞ。

ウサギさんとの待ち合わせのためにN駅に行くと、
ちょうどロングシティー在住のプリンセスも着いたところ。
プリンセスとは4年ぶりです。

「お久~~~!!」
その7からどうぞ。

翌朝・・・。
この日は始発の新幹線で、ウサギさんがやってきます。
ゆずに負けず劣らずの雨オンナのウサギさん。
この2人が揃うと・・・。
その6よりどうぞ。

不覚にも、ロプロスさんの策略にまんまとハマったゆずとナースさん。
後ろの座席から流れる不穏な空気を感じ取ったのか、
このあとロプロスさんが、予定にはなかったS台プチ観光に
連れて行ってくださることになりました。
その5からどうぞ。

ランチのお店から10分ほどで着いたそのお寺は、
『竜宮門』と呼ばれる、
浦島太郎の話に出てくる竜宮城の入り口のような形の山門のある、
立派なお寺でした。
その4からどうぞ。

ここでその2で書いた話に戻りましょう。

この日の2週間ほど前、ロプロスさんから届いたメールには、
ロプロスさんがS台を訪れる理由が書かれていました。 
その3からどうぞ。

自宅から車で10分の駅から、
朝7時の『ひかり』に乗ったゆず。
次のN駅で途中下車し、
伊勢の名物『赤福餅』をお土産に購入します。

なぜに伊勢?? かというと・・・
その2からどうぞ。

4年ぶりの聖地訪問。
決行日は9月13~15日に決めました。

特に本家のイベントがあるわけではない今回の旅。
せっかくなら、一人旅よりは大人数のほうが楽しいですからね、
某SNSで仲間を募ります。
その1からどうぞ。

ナースさんとの牛タンランチ計画が進行する中、
ゆずはある聖地の住人に、メールを送っていました。
某ブログの読者(毒者ともいう)にとっての『聖地』ヤマガタ。
それも、県庁のある山形市のような、よく知られたヤマガタではなく、
ローカル鉄道FN線にゆられて1時間弱。
緑だけには恵まれた、そのヤマガタの田舎町を前回訪ねたのは、
4年前の夏のことでした。
ガソリン、高いですよね。

もちろんそれだけが理由ではないでしょうが、
最近の車のCMでは、『低燃費』という言葉がよく聞かれます。
夏休みが終わりました。
子どもたちにとっては残念な、
お母さんにとっては、ほっとする9月です。
(9)からどうぞ。

西へと走る新幹線は、2時間半で広島駅に到着します。
そこからは、1日に数本しかない三段峡行きの可部線に乗り換えるのですが、
なにしろ本数がありませんから、
三段峡行きを待っていると、日帰りができなくなってしまいます。

なので、本数のある可部行きに乗り、
可部駅までは車で迎えに来てもらうことになりました。
(8)からどうぞ。

日本の警察は優秀です。
それからわずか1時間ほどで、
交番のお巡りさんから連絡がありました。
(7)からどうぞ。

 : 「だからねぇ、そういうことはやってないんですよ。」

 : 「そこをなんとかお願いします。
     時間もないし、私ではもうどうしようもないんです。」

 : 「お困りなのはわかりますが、できません。
     なにか別の方法を考えてください。」

 : 「そこをなんとか・・・。
     別の方法がないからお願いしてるんです。」

 : 「だからねぇ・・・
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